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明るい夜間戦闘

第二次世界大戦のヨーロッパ上空で繰り広げられたドイツとイギリス、アメリカの知られざる夜間戦闘の歴史や航空機、技術の紹介しています。

合成石油

第二次世界大戦は石油の戦いでした。
もちろん夜間戦闘機も飛ぶためにはガソリンが必要になります。ガソリンを得るには原料として原油が必要になりますが、ドイツは戦争を遂行する為に必要な原油を国内で賄うことはできませんでした。

それではドイツは終戦までの6年間に消費した燃料をどのように確保していたのでしょうか。
アメリカやソ連から原油の輸入を行っていましたが日本の参戦、ソ連への侵攻により、それらに頼ることはできなくなります。ルーマニアやハンガリーからの石油輸入も大戦末期になると依存国の降伏やドイツの撤退で、石油を他国に頼ることは不可能になりました。

ここでは話題に上がることの少ないドイツの燃料事情を紹介したいと思います。

ドイツの燃料事情

鉄道が発達したドイツでは石炭が重要なエネルギー源でした。ドイツ(チェコ含む)の石炭採掘量は開戦時で4億4千万トン(440,000,000t)。英国の2億2千万トン(220,000,000t)、ソ連の1億6千万トン(160,000,000t)、仏の4千万トン(40,000,000t)を凌ぐヨーロッパ最大の石炭産出王国でした。
もっとも石炭で飛行機は飛ばすことはできません。ではドイツはどうやって必要な燃料を生産していたのでしょうか。体系的な資料がなく、数値も資料によって異なりますがとりいそぎ適当なデータをあげてみましょう。

まず1940年から1944年の石油生産高は以下のようになっており、連合軍によるドイツ本国への戦略爆撃が本格化し、ルーマニアが枢軸側から脱落した1944年8月までは順調に生産を増大させています。

生産高
1940年 460万トン(4,600,000t)
1941年 550万トン(5,500,000t)
1942年 630万トン(6,300,000t)
1943年 750万トン(7,500,000t)
1944年 530万トン(5,300,000t)

ではドイツは石油を生産する原油をどこから入手していたのでしょうか。

ドイツは同じ枢軸国であるルーマニアとハンガリーに原油を依存していました。ちなみにルーマニアの原油採掘量は1939年は624万トン(6,240,000t)、1940年には581万トン(5,810,000t)で、ハンガリーの原油採掘量は1943年で83万トン(830,000t)でした。
つまりドイツはルーマニアとハンガリーから原油があれば戦争遂行に必要な石油の確保は困らないのでした。

その戦争遂行に必要な量は、例えば1943年では750万トン(7,500,000t)の燃料が必要で、これはルーマニアの700万トン(7,000,000t)とハンガリーの83万トン(830,000t)で賄えることになります。

何事もなく原油の確保と石油の生産が行えればドイツは燃料の心配はありません。しかし1944年以降本格化した連合軍のドイツ本土爆撃によりこの石油精製工場も攻撃を受けるようになると、ドイツの燃料確保も困難になってきました。

例えば1944年5月に受けた爆撃でロイナ(Leuna)工場の燃料の生産量は一日当たり5,850トン(5,850t)から4,820トン(4,820t)に減少しました。当時の燃料備蓄量は生産能力の三ヶ月分に相当する57万4000トン(574,000t)でした。
爆撃は日に日に激しさを増し1944年6月22日の爆撃では生産量は平時の10%以下、632トンまでに低下しました。しかしドイツも負けておらず、一ヶ月後の7月17日には生産量を日産2307トン(2,307t)までに回復させるのでした。
7月21日、再びロイナは爆撃を受け生産量は日産120トンに低下するも、ドイツも一ヶ月足らずで生産量を1637トン(1,637t)まで増加させました。
このシーソーゲームに終止符を打ったのが1944年8月に起きたルーマニアの離反でした。石油精製工場がいくら操業しても原油が供給されなければ燃料は生産されないというわけです。

なお上記の例から1944年の燃料生産量は平時で一日辺り約6000トンとなり、一年では210万トン(2,100,000t)となります。燃料の消費量は年々増加しており、1943年の時点で年間の必要量が750万トン(7,500,000t)にまで達していたドイツでは210万トンの年間石油生産量では到底足りません。

この不足分を補ったのが合成石油でした。

合成石油

合成石油とは、石炭を液化した後に精製して得られる石油代替燃料で、石炭を化学的に液化(石炭液化)して石油を得る直接液化法(水素添加法)や、石炭をガス化した一酸化炭素と水素を元にフィッシャー・トロプシュ反応により炭化水素を合成する間接液化法がありました。
第二次世界大戦時、ドイツはこれらの号席石油精製法を用いてガソリンや潤滑油などを補いました。

歴史

合成石油の歴史は第一次世界大戦まで遡ります。

1913年、ドイツの化学者フリードリッヒ・ベルギウス(Friedrich Bergius)は石炭を液化するベルギウス法を開発しました。ベルギウス法は高温高圧下で褐炭を水素化することで合成燃料として液体炭化水素を生産する方法でした。
ドイツはベルギウス法で液化燃料の量産化に乗り出しましたが、第一次世界大戦には間に合いませんでした。しかも敗戦により中東の石油権益を絶たれたため、国内の比較的豊富な石炭(ルール、ザール炭田)の液化に取り組むことになりました。

1920年代、カイザー・ヴィルヘルム石炭研究所(Kaiser Wilhelm Institute)の化学者フランツ・フィッシャー(Franz Fischer)とハンス・トロプシュ(Hans Tropsch)は合成石油や合成燃料を作るフィッシャー・トロプシュ法を確立しました。
フィッシャー・トロプシュ法とは一酸化炭素と水素ガスから鉄やコバルトなどの触媒を用いて反応を行い、液体炭化水素を得る一連の過程のことを差します。

1925年、ドイツ内企業8社が合同して化学企業I.G.ファルベン(I.G. Farben)社を設立しました。1927年、I.G.ファルベン社はロイナに合成石油製造工場を建設し、合成石油の製造を開始しました。

1930年代、I.G.ファルベンは合成石油工場を増設しましたが折しも石油価格は暴落し、合成石油の価格はメキシコから輸入していた石油の10倍にもなってしまい経済的に全く引き合わなくなりました。当時のアメリカでは石油が全消費エネルギーの半分になりつつありましたが、ドイツのエネルギー依存度は90%以上が石炭で石油はわずか5%程度でした。

1933年1月30日、ヒトラーは首相に就任するとI.G.ファルベン社に対して合成石油の生産拡大と引き替えに、支援をすると持ちかけました。I.G.ファルベン社は水素添加法により良質な航空用燃料を製造すると約束し、合成石油製造工場を増設しました。

1935年10月にイタリアはエチオピアに侵攻すると国際連盟は直ちにイタリアを非難し経済制裁を発動しました。ヒトラーはイタリアに石油禁輸が実施されればイタリア軍は即撤退を強いられることを知ると、I.G.ファルベン社にさらなる財政支援を行い合成石油生産を6倍に増加させました。
1935年末には水素添加法5工場、フィシャー・トロプシュ法4工場で合計90万トンの合成石油を生産していました。この年のガソリン生産高は170万トン(1,700,000t)だったので、生産されていた石油のうち2/3が合成石油ということになります。

1937年から1938年にかけてI.G.ファルベン社のユダヤ人は追い出され、ナチスに反対したカール・ボッシュは中枢から外されました。I.G.ファルベン社は企業の独立性を失い国家によって管理されるようになりました。

1939年9月1日、ドイツはポーランドに侵攻。これに対してイギリス・フランスがドイツに対して宣戦布告し、ついに第二次世界大戦が始まるのでした。

ドイツでは合成石油など代替燃料をエアザッツ(Ersatz)と呼び、1944年には様々な精製方法による25の工場から1日当たり約18万トン(180,000t)、年間650万トン(6,500,000t)もの量を生産しました。

詳細

第二次世界大戦前から戦時中にドイツで行なわれた合成石油の製造法は水素添加法、フィシャー・トロプシュ法、低温乾留法の三種類でした。

水素添加法

水素添加法はドイツで最も普及しており、褐炭、瀝青炭、褐炭タール、瀝青炭タール、タール油、ピッチ及び石油系重質残渣油を原料に水素を添加するものでした。戦前の時点で年間80万トン(800,000t)を製造していました。
1944年には12の工場が稼働し年産350万トン(3,500,000t)の合成石油を製造していました。これらの工場から第二次世界大戦中にドイツが消費した航空燃料の大部分が供給されました。水素添加は高オクタン燃料製造に向いていたのでB4燃料(87オクタン)などは容易に製造できていた考えられます。
水素添加法は工場設備にコストが掛かり、精製に非常に高い技術が必要という欠点がありました。

フィシャー・トロプシュ法

フィシャー・トロプシュ法は一酸化炭素と水素の混合ガスや褐炭を直接ガス化し、コバルトなどの触媒と反応させ液化石油を得る方法です。
ドイツには9の工場があり、第二次世界大戦中の最大生産量は年産57万トン(570,000t)にも達し、国内石油生産量の8%に及びました。この方法の最終製品の70%はガソリンやディーゼルなどの油液体燃料で、残りは精製ワックス、潤滑油などの製品でした。フィシャー・トロプシュ法は直接液化法よりもコストが高く、得た石油は直接液化法によって生成された石油に比べると品質が低かったようです。
フィッシャー・トロプシュ法から得た潤滑油はMe109やFw190の潤滑油などに使用されました。

低温乾留法

低温乾留法は製鉄に用いるコークス製造より低い温度で石炭を乾留する(揮発性物質と不揮発性物質に分ける)方法で、低温で乾留するほうがタール分の収集量が多くなる特長がありました。ドイツでは瀝青炭より揮発分の多い褐炭を用いました。
低温乾留法によって得られた低乾タールは水素添加法の原料になると共に、低乾タールをさらに蒸留することで揮発油、ディーゼル油、パラフィン、ピッチ、タールコークス(電極に使用)を製造できました。低温乾留法による生産は1943年で141万トンに達しました。低温乾留法は、工業化が最も容易でしたが、石油収得率は石油の10から15%にしか過ぎませんでした。

参考資料

カテゴリ:

メタデータ:

投稿者:IMAGEDRIVE
公開日時:2010年11月 7日 23:26 更新日時:2010年11月 7日 23:38
URL:http://www.nachtjagd.org/data/material/ersatz.shtml

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