夜間航空戦の歴史
第2次世界大戦が始まった1939年は先の大戦の間に起こった技術開の発展に戦術・戦略の思想ついてきておらず、各国空軍も手探りの状態でした。
- 世界初の夜間爆撃
- 戦闘航空団夜間戦闘中隊の夜間邀撃テスト
- 地上レーダーの開発
- 地上レーダーによる捕捉
飛行隊のおまけ的な存在であった夜間戦闘中隊は飛行隊に格上げされ、ついに独立した夜間航空団を編成するまでに拡大しました。部隊、機材、レーダーなど着実に戦力を強化したことに加え、手探りであった夜間航空戦法も確立してきました。
- 夜間飛行隊の設立
- 夜間航空団と夜間戦闘師団の編成
- 夜間戦闘師団の設立と明るい夜間戦闘
- 双発多座戦闘機と爆撃機
- 機上搭載レーダー
- 夜間邀撃システム
- 遠距離夜間戦闘
- 「ヴュルツブルク」の登場と暗い夜間戦闘の開始
- ヒンメルベット
- 1940年の総決算
積極的な夜間防空であった長距離夜間戦闘は損害を出しながら着実な戦果を上げていました。しかしドイツ上層部の無理解により中止となり、再びイギリス空軍に力を取り戻させる結果になりました。一方で夜間航空団の拡充は続き戦力が増すとともに、ついに待望の機載レーダーが開発されるのでした。
- イギリス空軍夜間戦闘隊
- 長距離夜間戦闘機の不足
- 遠距離夜間戦闘の中止
- 増強される夜間航空団
- 機上搭載レーダーの登場
- ヘルムート・レントの開眼
- 1941年の総決算
ドイツの夜間戦力は航空機、レーダーともに質と量が拡充し始めました。対するイギリスも大爆撃機部隊を繰り出し、都市に対する無差別爆撃を開始し、ドイツの夜空を焦がす壮絶なる戦いが本格化するのでした。そして真珠湾攻撃を期にアメリカがドイツへ宣戦布告し、昼夜を違わぬ爆弾の雨がドイツに降り注ぐのでした。
- 強化される夜間防空戦力
- 1942年の夜間戦闘機
- 夜間専用戦闘機
- カムフーバー・ライン
- イギリス空軍のレーダー装備
- サーチライト帯の崩壊
- アーサー・ハリスの1,000機爆撃作戦
- アメリカ陸軍第8航空軍と空の要塞
- イギリス軍電子戦部隊と対レーダー兵器
- 第5夜間航空団(NJG 5)の創設とリヒテンシュタイン
- 1942年の総決算
イギリス空軍による夜間の無差別都市爆撃と、ついに始まったアメリカ陸軍第8航空軍によるドイツ本土により夜間航空団は大きな戦果を上げるとともに、損害も増大していきました。実用段階に達したドイツ軍のレーダーに対し、その効果を一瞬にして無効化するイギリス軍の妨害、技術を補う新しい戦法の出現。夜空の戦いはますます高度化しました。そうした中、円熟した夜間航空団に最大の災いが降り注ぐのでした。
- アメリカ陸軍第8航空軍のドイツ本土爆撃
- 夜間航空団の対重爆撃機迎撃
- 対重爆撃機迎撃による夜間航空団の損失
- H2Sの実践投入
- ハヨ・ヘルマンの単発夜間戦闘機隊
- ルールの戦闘
- リヒテンシュタイン装備の1943年の夜間戦闘機
- ハインケル He 219の初陣
- 暴かれたリヒテンシュタイン
- ウィンドウの実戦投入とドイツレーダー網の崩壊
- 第300戦闘航空団(JG 300)「ヴィルデ・ザウ」の創設
- 20世紀のゴモラの街
- ヴィルデ・ザウとハンブルクの戦い
- イギリスの報復と無差別爆撃の始まり
- ツァーメ・ザウ
- シェーネルトの対爆撃機用兵器
- ヒドラ作戦(ハイドラ作戦)
- シュレーゲ・ムジーク
- カムフーバーの更送
- ベルリン爆撃の開始
- 1943年のベルリン爆撃
- 1943年の総決算
延べ16回にも及ぶベルリン爆撃はドイツの息の根を止めるどころか逆にイギリス爆撃機兵団に大量の出血を強いる結果になりました。充実するドイツの夜間迎撃能力は損失を出しながらも押し寄せるイギリス爆撃機を撃墜し続け、イギリス軍の爆撃遂行を困難にさせるほどでした。しかし連合軍によるノルマンディ上陸により築き上げた夜の砦は徐々に崩壊し、ベテラン搭乗員の死や深刻な燃料の欠乏などにより夜間戦闘機の稼働率は落ち続け以前ほどの威力は望めませんでした。
- 王族エース ヴィトゲンシュタインの死
- 1944年のベルリン爆撃
- ベルリン爆撃の終焉
- 血の三月(イギリス空軍最悪の日)
- ユンカースの台頭
- シェーネルトの独立単座夜間戦闘機部隊
- カムフーバー・ラインの崩壊
- ヴェルターとRAF第100集団のモスキート
- 追い込まれるレーダー技術
- 増加する機材と欠乏する燃料
- トップエース ヘルムート・レントの死
- 1944年の総決算