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明るい夜間戦闘

第二次世界大戦のヨーロッパ上空で繰り広げられたドイツとイギリス、アメリカの知られざる夜間戦闘の歴史や航空機、技術の紹介しています。

夜間飛行隊の設立

1939年から1940年に移る頃、第2戦闘航空団JG 2)に第2戦闘航空団第IV夜間飛行隊(IV.(N)/JG 2)が編成されました。
まず1939年9月1日にデーベリッツ第2戦闘航空団第10夜戦中隊(10.(N)/JG 2)が第131戦闘航空団第10夜戦中隊(10.(N)/JG 131)から編成され、1940年2月3日にイェファーでこれまで中隊規模だった各戦闘航空団付属の夜間戦闘中隊は飛行隊に格上げされました。隊長は アルベルト・ブルーメンザート大尉ドイツ空軍で、編成は以下のようになりました。

  • 第2戦闘航空団第IV飛行隊本部(Stab IV./JG 2)は新規編成されました。
  • 第2戦闘航空団第10中隊(10./JG 2)は第2戦闘航空団第10中隊(10./JG 2)から編成されました。
  • 第2戦闘航空団第11中隊(11./JG 2)は第26戦闘航空団第10中隊(10./JG 26)から編成されました。
  • 第2戦闘航空団第12中隊(12./JG 2)は第72戦闘航空団第10夜間戦闘中隊(10.(N)/JG 72)から編成されました。

夜間に星や月明かりとサーチライトだけを頼りに敵機を発見するのはとても困難でした。敵機が多く来襲すれば、いくらかは見つけやすくなりますが、この頃のイギリス空軍にはドイツ本土へ大規模空襲をかけるだけの力はなく、貧弱な航法を頼りに少数機での散髪的な攻撃をおこなっていました。なのでドイツ空軍も敵機と接触する機会は運まかせでした。
またドイツ夜戦も依然、夜間飛行に慣熟しきれていないパイロットがほとんどで、不十分な機材や設備とあいまって離着陸時の事故が頻発しました。

そんな中、ついに戦果が上がりました。

1940年4月21日0時45分、リューベック東方ヴィスマール上空で、第2戦闘航空団第IV夜戦飛行隊(IV.(N)/JG 2)のヴィリー・シュマーレ曹長ドイツ空軍がイギリス爆撃機と交戦し、初の夜間撃墜に成功させました。
続く1940年4月25日と5月14日に、ズュルト島ヘルヌム上空で、同部隊のパウル・フェルスター曹長ドイツ空軍が敵機を捕捉して撃墜しましたが、これらの戦果は偶然に恵まれた予期せぬ勝利でした。

ヴォルフガング・ファルク大尉この頃、新たな夜間迎撃法が案出されました。1940年4月9日にドイツはデンマークを占領しましたが、この方面に進出した第1駆逐航空団第I飛行隊(I./ZG 1)の指揮官は、ヴォルフガング・ファルク大尉1910年8月19日ドイツ空軍でした。
この部隊は、デンマーク北部オールボー飛行場に展開していましたが、しばしばイギリス空軍の夜間爆撃を受けていました。
ファルク大尉は夜間飛行訓練の傍ら敵に一矢報いる方法を考えていました。イギリス空軍機は夜明け少し前に投弾を終えて帰還することから、近くの海岸にある「フライア」レーダーで航空機の誘導を行い、夜が明けるころの敵の帰途を攻撃することを思いつきました。

つまり「フライア」の手引きでおおよその位置まで飛行し、あとは北方の空に浮かび上がった敵機を目視で捕捉撃墜する方法でした。この戦法で、選抜されたクルーの乗る何機かが爆撃機を捕捉したが、北海にたちこめる靄にまかれて、敵機を見失ってしまいました。
ただこの戦闘報告書は、ドイツ航空省RLM)の関心を引くことになりました。

1940年5月10日に戦時連立内閣を組織したウィンストン・チャーチル首相1874年11月30日イギリス政府は、ドイツ本土への本格的な航空攻撃の開始を決意しました。1940年5月15日から16日にかけての夜、双発爆撃機99機によってルール地方を爆撃しました。
「ルール工業地帯の上空に敵機は一機たりとも侵入させない」 と豪語したヘルマン・ゲーリング帝国元帥1893年1月12日ドイツ空軍の言葉はあっさりと覆されてしまいました。

1940年5月にファルク大尉第1駆逐航空団第I飛行隊(I./ZG 1)は、フランス方面の戦闘に参加するために、西部戦線へ移りましたが、6月になるとこのうちの2個中隊(恐らく2./ZG 1と3./ZG 1)がルールの一角のデュッセルドルフに移動しました。
そして第2戦闘航空団第IV夜戦飛行隊(IV.(N)/JG 2)と合流すると、夜間戦闘の訓練を開始しました。

始めの数週間は昼間飛行訓練を続け、しだいに晴天の夜にサーチライトや高射砲と連携した夜間邀撃訓練に移行しました。
管制センター「フルコー」からの連絡に従ってイギリス空軍爆撃機を追ったケースもありましたが、個人の運に大きく依存していたので簡単に敵機に接触することは容易ではありませんでした。
それでも第1駆逐航空団第I飛行隊(I./ZG 1)のヴェルナー・シュトライプ中尉1911年6月13日ドイツ空軍フィクター・メルダース少尉ドイツ空軍ヴェルナー・メルダース少佐1913年3月18日ドイツ空軍の弟)は飛ぶごとに腕を上げました。

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メタデータ:

投稿者:IMAGEDRIVE
公開日時:2009年3月 3日 10:31 更新日時:2010年3月13日 02:28
URL:http://www.nachtjagd.org/history/1940/1940_01.shtml

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