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明るい夜間戦闘

第二次世界大戦のヨーロッパ上空で繰り広げられたドイツとイギリス、アメリカの知られざる夜間戦闘の歴史や航空機、技術の紹介しています。

夜間戦闘師団の設立と明るい夜間戦闘

ヨーゼフ・カムフーバー大佐今後、複数の夜間航空団NJG)が創設されることを予想して、1940年7月17日に上層の指揮組織である夜間戦闘師団(1. Nachtjagd-Division)が編成されました。
師団長にはフランス戦で捕虜になった元第51爆撃航空団司令のヨーゼフ・カムフーバー大佐1896年8月19日ドイツ空軍が任命されました。
※カムフーバーの夜間戦闘師団長任期は1940年7月17日から1941年8月8日。
カムフーバー大佐は司令部をオランダのザイストに置き、夜間邀撃態勢の確立を目指して精力的に活動を開始しました。

夜間航空団NJG)が創設されるまで、ドイツは本国の防空を高射砲と高射機関砲に任せていました。
開戦時の戦力は88mm高射砲2,600門、20mmと37mmと高射機関砲6,700門でした。夜間防空の場合は、これにサーチライトが300基が加わることになります。
明るい夜間戦闘:1.進入する敵機をサーチライト帯で照射、捕捉し、夜間戦闘機を出撃させて迎撃。2.このサーチライト帯から逃げた敵機を、都市や要地付近のサーチライト部隊が捕捉して、高射砲で攻撃。カムフーバーがまず行ったのは高射砲陣地の前方に、サーチライト群のボックスを築くことでした。
再前方に聴音機を並べ、その後方に三列のサーチライトを幅45km、奥行き22kmの区域に展開しました。ルール地方前方、ライン川河口、ゾイデル海という、イギリス空軍の主要進入コースにあたる三ヶ所にまず設置を開始し、サーチライトの数は488基にも達しました。
そして、夜間戦闘機の基地をサーチライト地帯の後方に置きました。
のちに構成されるレーダー網につながる大防御ゾーン建設の第一歩が、ここに踏み出されました。

この防御配置の運用は以下の通りでした。

  1. 進入する敵機をサーチライト帯で照射、捕捉し、夜間戦闘機を出撃させて迎撃。
  2. このサーチライト帯から逃げた敵機を、都市や要地付近のサーチライト部隊が捕捉して、高射砲で攻撃。

この二段構えの防御方法なら夜間戦闘機が味方高射砲の誤射を受ける恐れはありませんでした。
これまで運に任せていた手探り的な邀撃に比べれば、大きな進歩でした。サーチライトに照らされた敵機を夜間戦闘機が邀撃するところから、この戦法は「明るい夜間戦闘」と呼ばれるようになりました。

しかし、この「明るい夜間戦闘」にも欠点がありました。晴天ならば高度1万メートル以上にも届く直径150cmのサーチライトも曇りだと威力を失い、雲の上の敵機を照射できなくなること。
もう一つはサーチライトの捕捉時間が短いのでせっかく捕捉しても攻撃時間が短いことと、あまりに強力な光芒のおかげで攻撃する夜間戦闘自身が幻惑されてしまうことでした。

なお高射砲部隊の編成は、88mm以上の重高射砲隊は、4〜5門から編成される中隊が基本でした。
1939年には650個中隊で、1944年には2,655個中隊が編成されています。
20mm、37mm、50mmと言った中・軽高射砲隊は、12〜15門から編成される中隊が基本になります。

1939年には560個中隊で、1944年には1,612個中隊。そして、150cm〜200cmのサーチライトを装備した照空隊があり、これはサーチライトを16基装備し、これで1個中隊を編成していました。1939年には188個中隊、1944年には470個中隊に増えています。

カテゴリ:

メタデータ:

投稿者:IMAGEDRIVE
公開日時:2009年3月 3日 10:49 更新日時:2010年3月13日 02:34
URL:http://www.nachtjagd.org/history/1940/1940_03.shtml

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