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明るい夜間戦闘

第二次世界大戦のヨーロッパ上空で繰り広げられたドイツとイギリス、アメリカの知られざる夜間戦闘の歴史や航空機、技術の紹介しています。

双発多座戦闘機と爆撃機

開戦から夜間航空団NJG)ができるまで、夜間戦闘機の主役を務めたのはBf 109C型とD型でした。しかしBf 109は翼面荷重が高く、車輪の間隔が狭いので昼間でも難しい離着陸を夜間に行うのがまず困難で、夜間の運用には不向きでした。
続いて使用機となったのはBf 110は、1930年代なかばに各国で流行した万能戦闘機(戦略戦闘機など呼称は様々)の一つでした。ドイツ空軍では「駆逐(戦闘)機」と呼ばれ単発戦闘機並の速力に重武装を備え、爆撃機の長距離進行に随伴できる、多目的・多用途が売り物でした。そしてこの駆逐機で編成されたのが、ドイツ空軍独自の駆逐航空団ZG)でした。

Bf 110C-0Bf 110Cはこの机上の空論ともいえる高性能を要求された最初の本格的な生産型で、ポーランド侵攻(1939年9月1日)やヴェーザー演習作戦(1940年4月9日)で、爆撃機援護の任務のもとPZL P11やグロスターグラディエーター」といった2流の単発戦闘機を圧倒して、その存在価値を見せつけました。

しかし1940年7月10日に始まったバトル・オブ・ブリテンでは、イギリス空軍のスーパーマリンスピットファイア」やホーカーハリケーン」に一方的に攻撃されました。
バトル・オブ・ブリテン開始時のBf 110の参加機数は278機、これが8月・9月で200機以上の損失で、損耗の激しさから解散する部隊さえも出てくるしまつでした。

それはともかく、Bf 110はBf 109に比べてずっと夜間戦闘に適した機材でした。
まず複座であったこと。これは昼間なら地表を見ながらの地文航法が可能でしたが、夜間だと目的地に飛ぶにも推測航法、天測航法、無線航法などが必要になり、これらを一人で行うのは搭乗員にとって非常に負担が大きいものでした。
また目視可能な昼間なら、だいたいの空域に達すれば敵機を発見できますが、機上搭載レーダーもないこの時期は夜間では、よほど近づかないと敵機を捕捉するのも困難でした。
運良くサーチライトが捕捉した敵機を見つけても捕捉されているのは短時間で、しかもほんの一部の敵機でした。エンジンの排気炎や星明かりで、敵機を追うにも、一つ間違えば敵機や味方機と衝突の恐れもありました。ただ飛ぶのでさえ神経を使う夜間飛行で、戦闘に集中するには航法や通信を専門に行う搭乗者は、必要不可欠の存在でした。

Bf 110Dもう一つの利点は双発が故に機首や胴体に武装が搭載でき、進行方向の軸線に火力を集中できることでした。
夜間戦闘機の主目標である爆撃機を撃墜するには、大量の火力を叩き込む必要がありました。会敵する機会もわずかな夜間戦闘で、せっかく捕捉した敵機を確実に落とすには短時間でいかに火力を集中できるかによりました。
単発戦闘機は機首にエンジンがあり、またプロペラとの同調の問題もあるので大口径火器や異なる武装を搭載するのは難しいのですが、機首にエンジンがなく、搭載能力の大きいBf 110は単発戦闘機の抱える問題がありませんでした。

さらに運動性能と速度も鈍重な爆撃機を相手にする夜間戦闘なら、飛び抜けて高い性能を要求されることもなく、相手よりも一回り高性能であれば十分でした。
もともと爆撃機に付随して長距離進行する目的で作られた航空機なのでBf 109に比べ航続力の面でも有利で、長時間の上空待機と追撃を行う任務に適していました。

こうした本来の目的のために要求された性能は昼間に発揮することはできませんでしたが、夜間では一転してあらゆる面で有利に働きました。

このように1930年なかごろに流行した双発多座戦闘機の夜間戦闘機への転換は、ドイツに限らずフランスのポテ630や631、イギリスのブリストルボーファイター」、日本海軍の中島「月光」や陸軍の川崎「屠龍」が同様の道をたどっています。

捕足

バトル・オブ・ブリテンを例にとり落第機としての評価を受けるBf 110ですが、他国で同様に開発された双発重戦闘機で、単発戦闘機の性能を凌ぐ機体は出てきませんでした。
そもそも当機の用兵上の目的は、敵爆撃機に対する攻撃や長距離侵入であり、単発戦闘機との交戦は考えられていませんでした。ましてや味方爆撃機の護衛など行えば、本来も持ち味である高速性などは失われ、襲ってくる敵戦闘機との戦闘は避けられなくなります。
両翼にエンジンを付けた機体に、単発戦闘機並の運動性能を期待するのが間違いで、本気でそう考えているならBf 110は防御機銃など装備していなかったでしょう。
よって戦後にBf 110に与えられた低い評価はまったくの見当違いであり、本来の運用である高速での長距離侵入(イギリス沿岸部への超低空進入による爆撃など)や敵爆撃機の撃墜(夜間戦闘機)では、十分に活躍することになります。

夜間戦闘機に転用された爆撃機

第1夜間航空団第II飛行隊(II./NJG 1)の装備機になったDo 17ZとJu 88CもBf 110と同様の理由で夜間戦闘機に転用されました。第2次世界大戦を通じてのドイツ爆撃機の特徴と言えば、急降下爆撃性能と高速性能があげられます。

Do 17Z-2の最大速度が410km/h、同じくJu 88A-1が450km/h。運動性能はもとより速度でも敵戦闘機との空戦はとても望めませんでしたが、イギリス空軍の初戦の主力機がビッカースウェリントン」IC型で、最大速度が378km/hに比べると十分に対抗できるものでした。Bf 110に比べ航続距離は大幅に勝り、Do 17ZでBf 110Cの2倍。Ju 88C-2なら3倍を越える3,050kmに達しました。

Do 17Zは夜間戦闘機としての性能はいまいちで、「カウツ(ふくろう)」という名称を与えられましたが、Do 17Z-2が2機、Do 17Z-10が9機で生産が中止されてしまいました。
一方、万能機と言われたJu 88は夜間戦闘機への転換は成功し、1944年以降は夜間戦闘機の主力機にまで成長しました。

爆撃機の夜間戦闘機転用はやはり各国で同様の例が見ることができ、イギリスのブリストルブレニム」、デハビランドモスキート」、アメリカのダグラスA-20「ハボック」、日本海軍の航空技術廠「銀河」がこれにあたりました。

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メタデータ:

投稿者:IMAGEDRIVE
公開日時:2009年3月 3日 11:00 更新日時:2010年3月13日 02:36
URL:http://www.nachtjagd.org/history/1940/1940_04.shtml

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