1. メニューへ移動
  2. 本文へ移動

明るい夜間戦闘

第二次世界大戦のヨーロッパ上空で繰り広げられたドイツとイギリス、アメリカの知られざる夜間戦闘の歴史や航空機、技術の紹介しています。

夜間邀撃システム

夜間邀撃部隊が設立されましたが、敵機を撃墜する効果的な方法は開発されず、いぜん月や星、サーチライトの明かりを頼りに、視力と運が頼りの邀撃でした。
夜間航空団設立後の撃墜第一号は、第1夜間航空団第8中隊(8./NJG 1)のパウル・フェルスター曹長ドイツ空軍でした。彼はBf 109で1940年4月と5月に1機ずつの夜間撃墜をはたしており、この時期の夜戦パイロットの中では最も経験豊富な一人でした。
彼の所属する第1夜間航空団第8中隊(8./NJG 1)を含む第1夜間航空団第III飛行隊(III./NJG 1)も、Bf 109からBf 110への機種改変を行っていました。フェルスター曹長は1940年7月9日2時50分に、ヘルゴラント島付近の上空で、アームストロング・ホイットワースホイットレイ」を1機撃墜しました。
しかも、サーチライトの力を借りずに、わずかな星明かりを利用してでの戦果でした。彼の戦果には運による部分が大きいのですが、その運をものにしたのも彼の腕でした。

この頃の夜戦パイロットの多くは、かつて所属した駆逐航空団ZG)や戦闘航空団JG)への復帰を望むものが多かったようです。装備も戦法も未発達な夜間に出撃しても会敵の可能性はきわめて低く、攻撃主体のドイツ空軍で夜間邀撃のような防御任務は第二線と考えられていたからでした。
しかし一歩進んだ戦法・・・サーチライトと共同しての戦果もついにあがりました。それは1940年7月20日にヴェルナー・シュトライプ中尉1911年6月13日ドイツ空軍によってなされ、ドイツ空軍の公認夜間撃墜第一号になりました。

ギュータースローに展開する第1夜間航空団第2中隊長のヴェルナー・シュトライプ中尉とリンゲン軍曹の乗るBf 110Cは夜の飛行場を後にしました。
ルールの夜空を切り裂いて、数条のサーチライトの光芒が立ち上がり、パイロットの目を幻惑させずにはおかない強力な光の帯は、次々に数を増しました。イギリス空軍の爆撃機が防空空域に進入し、ヨーロッパ随一の射撃精度を誇るドイツ空軍の高射砲弾が炸裂して、硝煙が点々と浮かび上がりました。
シュトライプは光の反射に視界を奪われないように風防のスライド窓を開けて夜空を注視し、サーチライトと高射砲の弾幕の中を飛行しました。一歩間違えば味方に撃たれる可能性もあり、30m以内なら撃墜確実、200m離れていても少なからず損害を与えるという88mm高射砲弾の炸裂に機体が揺れました。

しばらくしてサーチライトの光芒の中に、黒々とした機体を見つけました。右側下方、距離は300m。同士討ちで撃墜されることもあったので、はっきりと確認しなければなりません。細い胴体、双発、垂直尾翼が2枚・・・夜間では機体の確認もままなりませんでしたが、垂直尾翼の間に銃座が見え「ホイットレイ」と確認しました。
シュトライプのBf 110に気付いた尾部銃座の射撃にかまわず距離を縮めて射撃を加えると、「ホイットレイ」の右エンジンが発火。離脱をはかる敵機に対して再び攻撃を加えて、今度は左翼から発火し、ついにはきりもみに陥って墜落しました。
サーチライトと連携した邀撃は少しずつ軌道に乗り始め、二日後の1940年7月22日にもシュトライプは「ホイットレイ」を撃墜。以後、ヴァルター・エーレ中尉ドイツ空軍ジークフリート・ヴァンダム少尉ドイツ空軍ら4名が、1機ずつを撃墜しました。

ヘルムート・レント

1940年9月30日から10月1日にかけての一夜に、シュトライプは「ウェリントン」を40分間に3機撃墜し、大尉に昇進しました。10月14日には撃墜数を10機(昼間1機、夜間9機)に伸ばして、全夜間戦闘隊のトップエースになっていました。
サーチライトと連携した「明るい夜間戦闘」の戦法を体得したシュトライプは10月18日に第1夜間航空団第I飛行隊長に任命されました(1943年7月1日まで)。彼の他にも夜間戦闘で腕を上げる者が出てきました。第1夜間航空団第1中隊(1./NJG 1)のハインリヒ・グリーゼ中尉ドイツ空軍や、第1夜間航空団第II飛行隊(II./NJG 1)のエグモント・プリンツ・ツーア・リッペ=ヴァイセンフェルト中尉1918年7月14日ドイツ空軍らが9月から11月にかけて初撃墜を記録しました。
それでも夜間撃墜はなお困難で、一部のパイロットを除いて接敵すら満足にできない状況でした。しかも、1940年10月1日にはJu 88Cがビッカースウェリントン」と間違われて、友軍に撃墜される事件も起こりました。

ヘルムート・レントそんな中、1940年12月のある日にヘルムート・レント中尉1918年6月13日ドイツ空軍ヴォルフガング・ファルク少佐1910年8月19日ドイツ空軍へ昼間戦闘機隊への転属を願い出ました。「なにも見えない」が転属の理由でした。開戦からの1年でBf 110によって8機の昼間撃墜を記録しているレント中尉にこう言わせるほど、夜間邀撃は困難でした。
ヴォルフガング・ファルク少佐は「あと一ヶ月やってみたまえ」と、レント中尉を慰留しましたが、それから5ヶ月間は戦果は得られませんでした。しかし、1941年5月12日にレントは夜間初撃墜を記録し、1944年10月に着陸事故死するまで夜間撃墜102機を達成することになります。全戦闘機隊でわずか9人しか授からなかった、宝剣柏葉付き騎士鉄十字章を夜戦パイロットとして初めて授与されることになりました。

レントをはじめ、夜間戦闘任務に自信をなくした者は何人もいました。ファルク少佐は夜間戦闘隊の発展を助けるため、各方面へ積極的にその必要性を説いて周り、一方で今後の人材不足を予測して、戦闘機学校でも演説して夜間航空団配属を希望するようにと生徒に熱弁をふるいました。そんな中、ミュンヘン-シュライスハイムにある駆逐戦闘機操縦要員の飛行機学校で、ファルク少佐の演説を聞いたヴィルヘルム・ヨーネン少尉1921年10月9日ドイツ空軍は夜戦パイロットを目指すことになるのでした。

カテゴリ:

メタデータ:

投稿者:IMAGEDRIVE
公開日時:2009年3月 3日 11:25 更新日時:2010年3月13日 02:46
URL:http://www.nachtjagd.org/history/1940/1940_07.shtml

関連記事一覧

  1. 夜間飛行隊の設立
  2. 夜間航空団と夜間戦闘師団の編成
  3. 夜間戦闘師団の設立と明るい夜間戦闘
  4. 双発多座戦闘機と爆撃機
  5. 機上搭載レーダー
  6. 夜間邀撃システム
  7. 遠距離夜間戦闘
  8. 「ヴュルツブルク」の登場と暗い夜間戦闘の開始
  9. ヒンメルベット
  10. 1940年の総決算