1. メニューへ移動
  2. 本文へ移動

明るい夜間戦闘

第二次世界大戦のヨーロッパ上空で繰り広げられたドイツとイギリス、アメリカの知られざる夜間戦闘の歴史や航空機、技術の紹介しています。

「ヴュルツブルク」の登場と暗い夜間戦闘の開始

1940年5月中旬、オランダの国境に近いエッセンの高射砲陣地に、直径3mの大きな皿型リフレクターを付けた機材「ヴュルツブルク」が持ち込まれました。高射砲隊員らは、「この機材が射撃に必要なデータを君たちに与えてくれるはずだ」と教えられました。
数日経った夜、エッセン上空へイギリス爆撃機編隊が2度目の進入を行いました。高射砲は「ヴュルツブルク」からのデータを受けて、爆撃機編隊を狙い驚異的な命中率とまでは行かなりませんでしたが、射撃算定機による前回の迎撃よりは効果が高く数機を撃墜できました。帰投したイギリスの搭乗員も、至近弾の多さに肝を冷やしたといいます。

ヴュルツブルクヴュルツブルク」を開発したテレフンケン社は、1936年からレーダーの研究を開始していました。1938年に原型を作り上げましたが軍の要望が急ではなかったため、その後の開発はゆったりしたものでした。
1939年に航空省のテストを受けましたが、結果が良好だったことから4,000基を受注し、1940年の春から生産型が完成していきました。
ヴュルツブルク」は以後も量産が続けられ、発展型の「ヴュルツブルク・リーゼ」とともにドイツ軍の主要邀撃レーダーの地位を占めることなります。

ヴュルツブルク」の正式名称はFuMG(無線測定装置の略)62といい、初期のA型から後期のD型まで4種類がありました。最大探索距離は30km(後に40kmに向上)。距離の誤差は±50m、角度の誤差は左右が±0.45度、上下が±10度と、かなりの精度を誇っていました。
ヴュルツブルク」の本格的な配備は1940年の夏で、まず高射砲部隊に渡されて命中率を高めました。ついでサーチライト部隊への配備が始まり、「ヴュルツブルク」と直結したいわゆるマスターサーチライトができ、敵機捕捉に高威力を発揮しました。マスターサーチライトが敵機を捕まえれば、後は他のサーチライトがそれに追随すればいいのでした。

暗い夜間戦闘

この「ヴュルツブルク」を夜間戦闘機の誘導に用いる実験は1940年3月頃に行われていました。第一次世界大戦で62機を撃墜したエース、空軍技術局長のエルンスト・ウーデット大将1896年4月26日ドイツ空軍が乗る戦闘機とヴォルフガング・ファルク大尉1910年8月19日ドイツ空軍が乗る爆撃機とが、2基の「ヴュルツブルク」A型の誘導の通りに飛んで繰り返し会合に成功しました。
1939年にファルクが行った薄暮邀撃とこの経験からレーダー誘導による邀撃は視界不良の悪天候でも有効だと考え、第1夜間航空団司令に任じられて間もなくの1940年7月初めにヴォルフガング・ファルク少佐1910年8月19日ドイツ空軍は空軍上層部に報告書を提出しました。
この報告書は1940年8月19日にヨーゼフ・カムフーバー大佐1896年8月19日ドイツ空軍の元に届きましたが、関心を惹くことはできませんでした。レーダー邀撃の大組織を作っても運用が複雑になうえ信頼性に乏しいと考えたからです。

それでも第1夜間航空団NJG 1)はレーダーによる接敵訓練を続け、9月18日に初めて実戦の機会を得ました。このとき第1夜間航空団第4中隊(4./NJG 1)のルートヴィヒ・ベッカー少尉ドイツ空軍が出撃しましたが、「フライア」が高度測定が出来なかったため、敵機を捕捉できずに終わりました。

しかし1940年10月2日の夜についにレーダー邀撃の成果が上がりました。
フライア」が敵機を感知し、再びルートヴィヒ・ベッカー少尉第1夜間航空団NJG 1)に少数残されていたDo 17Z-10で出撃しました。離陸後もディール少尉が操る「フライア」の誘導を受けて飛んでいくと今度は占位した高度がよく、しばらくしてビッカースウェリントン」を捕捉しました。50mまで接近して射撃すると、敵機は炎を吹き出して墜落。記念すべきレーダー誘導による初の夜間撃墜でした。
これこそサーチライトを用いずレーダー誘導のみで邀撃する「暗い夜間戦闘」の始まりでした。
2時間後に今後はフィック伍長がディールの声の通りに「ウェリントン」を追い発見、攻撃をしかけましたが距離が離れていたため、取り逃がしてしまいました。
この戦果をもってしてもカムフーバーはレーダー邀撃に関心を持ちませんでした。

そんな中、1940年10月14日から15日にかけて行われた空戦でカムフーバーの考えは一変しました。
この夜、照明連隊の持つ「ヴュルツブルク」の誘導を受けた第1夜間航空団第I飛行隊(I./NJG 1)は、サーチライトの背後で暗い夜間戦闘を行いヴェルナー・シュトライプ大尉1911年6月13日ドイツ空軍の3機撃墜を含めて5機を撃墜しました。
一方、第1夜間航空団第I飛行隊(I./NJG 1)に隣接した空域で明るい夜間戦闘を行った第1夜間航空団第II飛行隊(II./NJG 1)は1機の撃墜も果たすことはできませんでした。
この結果がものを言ってカムフーバーはレーダーを用いた「暗い夜間戦闘」の充実を行うべく、レーダーの邀撃体制に本腰を入れ始めました。指揮官自らが非を認めて方針を変更することは容易なことではなく、カムフーバーの指導者としての有能さがここにありました。

カテゴリ:

メタデータ:

投稿者:IMAGEDRIVE
公開日時:2009年3月 4日 22:57 更新日時:2010年3月13日 03:21
URL:http://www.nachtjagd.org/history/1940/1940_09.shtml

関連記事一覧

  1. 夜間飛行隊の設立
  2. 夜間航空団と夜間戦闘師団の編成
  3. 夜間戦闘師団の設立と明るい夜間戦闘
  4. 双発多座戦闘機と爆撃機
  5. 機上搭載レーダー
  6. 夜間邀撃システム
  7. 遠距離夜間戦闘
  8. 「ヴュルツブルク」の登場と暗い夜間戦闘の開始
  9. ヒンメルベット
  10. 1940年の総決算