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明るい夜間戦闘

第二次世界大戦のヨーロッパ上空で繰り広げられたドイツとイギリス、アメリカの知られざる夜間戦闘の歴史や航空機、技術の紹介しています。

機上搭載レーダーの登場

1939年にテレフンケン社が開発をした機上搭載レーダーは、空軍当局の興味を引かず、とりあえずリヒテンシュタイン Bの名前で電波高度計として実用化を進めました。しばらくは、このリヒテンシュタイン Bすら見向きもされませんでしたが、これを世に出したのは、機上搭載レーダーの開発を求めるカムフーバー少将の強い要望でした。

機上搭載レーダーでもイギリスは先を行き、1939年の夏にはAI(空中邀撃)レーダーを装備した「ブレニム」IF型の配備を開始していました。1940年7月22日から23日の夜にアシュフィールド大尉がAIレーダーを使いDo 17を撃墜しています。

1941年7月、機上搭載レーダーFuG 202 リヒテンシュタイン B/Cの試作機が完成しました。出力1.5kw、周波数490MHzのFuG 202は機種のアンテナが捕らえた反射波が機内に取り付けた3基の陰極線管に目標までの距離、上下左右の位置を輝線で表示できました。感知距離は200mから3.5kmだったので、「ヒンメルベット」の誘導でリヒテンシュタインの感知範囲内に入れば、後は夜間戦闘機自身で敵機を追い、200m以内に接近したら、後はサーチライトに頼ることなく肉眼で「暗い夜間戦闘」を行えました。
しかしリヒテンシュタイン B/Cはレーダー波の反射角度が30°と狭く、急な機動を取られると逃げられやすい欠点がありました。またレーダーの操作と陰極線管の輝線の読み取りには熟練が必要で、輝線を見続けると目がくらみ、夜空の見張りは不可能になるほどでした。

Do 215B-5リヒテンシュタイン B/Cの試作機を最初に搭載したのは第1夜間航空団第4中隊(4./NJG 1)のルーヴィッヒ・ベッカー中尉でした。ベッカー中尉は1941年8月9日に無線手のヨーゼフ・シュタウプ曹長と共にオランダのレーウワルデンを飛び立ちました。機首に送信、受信アンテナを4本ずつ、合計32本を装備したDo 215B-5「カウツ3」に搭乗し、1941年8月10日未明に英爆撃機を1機を撃墜し、レーダーによる初撃墜を記録しました。続けてベッカー中尉は1941年8月12日から9月30日までにリヒテンシュタイン B/C搭載機を用いて5機を撃墜しました。

ベッカー中尉は、レーダーで捕捉した敵機よりもわずかに高度を下げて接近し、機影を認めたのち爆撃機の後部銃塔に見つからないようにするため降下、増速しました。そして勢いのついた機体を引き起こして後下方から、50mの距離で斉射を加えて離脱していました。これは後に照準器を要しない攻撃法として夜間航空団に定着しました。

こうしてついに実戦で成果を挙げた機上搭載レーダー「リヒテンシュタイン B/C」でしたが、まだ生産態勢が整っておらず夜戦部隊には行き渡ることはできませんでした。レーダーの覆域を広げた量産型ができ、夜間航空団に普及するのには、あと1年が必要でした。

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メタデータ:

投稿者:IMAGEDRIVE
公開日時:2009年3月22日 22:43 更新日時:2010年3月13日 21:11
URL:http://www.nachtjagd.org/history/1941/1941_05.shtml

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