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明るい夜間戦闘

第二次世界大戦のヨーロッパ上空で繰り広げられたドイツとイギリス、アメリカの知られざる夜間戦闘の歴史や航空機、技術の紹介しています。

1941年の総決算

1941年末までに北海沿岸に第XII航空軍団司令カムフーバー少将は6カ所の「ヒンメルベット」基地群を築きました。「オオカミ」「イセエビ」「トラ」など動物のニックネームをつけたこれら基地群は、デンマーク南部からオランダ西部まで直線距離約300kmの沿岸をカバーしていました。それら約50km後方には、ほぼ平行して長さ350kmを超えるサーチライト帯を設置しました。
ヒンメルベット」基地が「暗い夜間戦闘」区域、サーチライト帯が「明るい夜間戦闘」地域。「ヒンメルベット」後方とサーチライト帯上に、戦闘区域を定められた夜間戦闘部隊の基地が置かれました。この3つがベルリンやハンブルク、ルール地方などの重要地域を守っていました。

さらに「ヒンメルベット」基地はベルリンの『クマ』、ハンブルグの『マルハナバチ』、ブレーメンの『ローラン』の都市にも設置され、こうした都市の上空は「暗い夜間戦闘」と「明るい夜間戦闘」が両方行われ、高射砲による防空も加わる混成夜間戦闘空域でした。
また、ルール地方南端のヴィースバーデン東方とマンハイムは混成夜間戦闘空域で、『アナグマ』がカバーし、『ツル』が覆う2重の「ヒンメルベット」空域でもありました。

1941年にドイツ本土を含む西部戦線へ出動したイギリス空軍爆撃機は27,000機にもおよび、大破を加えた損失は1,089機。投下弾量は32,000tと、いずれも1940年の2倍以上に増えていました。このうちドイツ空軍の夜間戦闘機が撃墜したのは、1941年8月の67機を最高に、合計421機でした。
イギリス空軍の対独夜間爆撃は、まだ本格化はしていませんでした。ショートスターリング」に続く4発爆撃機の2番手、ハンドレページハリファックス」も作戦に投入され始めていましたが、なお主力は双発爆撃機でした。

1941年12月7日(日本時間8日)に、日本がアメリカに宣戦布告し、同時にアメリカは日本と軍事同盟を結ぶドイツへ宣戦布告をしました。高い工業力と豊富な資源を有するアメリカ軍が近い将来ドイツを襲うであろうことは、航空省次官・空軍技術局長のエアハルト・ミルヒ元帥など一部が危惧しただけで、ヒトラー以下ドイツ首脳陣の大半は楽観的でした。

1941年に作られた練習機を除く第1線軍用機の総生産数は8,377機。うち戦闘機(戦闘爆撃機を含む)は2,746機で、総数の3分の1でした。戦闘機の生産数は前年とほぼ同数だが、爆撃機は400機以上も多い3,373機におよび、機種別での第1位を占めました。
一方、戦闘機のうち夜間戦闘用の双発戦闘機はBf 110が874機、Ju 88Cが79機、Do 215Bが10数機、あわせて約970機でした。Bf 110とJu 88Cは駆逐航空団向けの昼間用も含んでの数字ですが、ほとんどが夜間航空団向けでした。

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投稿者:IMAGEDRIVE
公開日時:2009年3月22日 23:47 更新日時:2010年3月13日 21:23
URL:http://www.nachtjagd.org/history/1941/1941_07.shtml

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