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明るい夜間戦闘

第二次世界大戦のヨーロッパ上空で繰り広げられたドイツとイギリス、アメリカの知られざる夜間戦闘の歴史や航空機、技術の紹介しています。

1942年の夜間戦闘機

Bf 110

1942年の夜間戦闘機の主力機は、地中海へ出かけていた長距離夜間戦闘の第2夜間航空団(NJG 2)を除いて、すべての航空団が装備していたのはBf 110でした。開戦から駆逐航空団で実戦配備についていたBf 110C型は、夜間航空団にとっても発足当初からの装備機でしたが、なお現役でした。
基本型のBf 110C-1、通信機変更のBf 110C-2、搭乗員用の防弾鋼板を追加したBf 110C-4、機首下面のMG FF 20mm 機関砲×2をMk 101 30mm 機関砲×2に交換したBf 110C-6の各型が展開していました。

Bf 110D-0Bf 110 D型は増槽装備の長距離型で、1940年夏から夜間航空団に配備されていました。胴体下部を膨らませて容量1,050リットルの巨大な増加タンクとしたBf 110D-0、Bf 110D-1(一部は「シュパナー」暗視装置を装備。後期型は増槽を翼下装着の落下式に改めた)、救命ボート内蔵のため、尾端を延長したBf 110D-3の3種類を運用していました。

Bf 110E-1Bf 110E型は両翼下に50kg爆弾を2発ずつ取り付けられるタイプで、1941年から基本型のBf 110E-1(一部は「シュパナー」暗視装置を装備)、戦闘爆撃機型のBf 110E-2、Bf 110E-4が使われています。

1942年に新たに登場したのは、エンジンをDB 601F(1,350馬力)に強化したBf 110F型で、昼間戦闘機型のBf 110F-2と夜間戦闘機型のBf 110F-4の導入が1942年夏から始められました。Bf 110F-4型は胴体下部にMk 108 30mm 機関砲×2が追加され、後期型には「リヒテンシュタイン」BC型が装備されました。

Ju 88

Bf 110についで使用頻度の高かったのはJu 88でした。
戦闘機型のJu 88C型のうち、初期のJu 88C-0とJu 88C-1(固定武装はともにMG FF 20mm 機関砲×1、MG 17 7.92mm 機関銃×2)は1941年までに第1戦からはずされ、MG 17 7.92mm 機関銃を1梃増やしたJu 88C-2も引退が間近でした。
Ju 88C-2の火力強化型であるJu 88C-4(MG FF 20mm 機関砲×1、MG 17 7.92mm 機銃×3、MG 15 7.92mm 機関銃×1)は、1941年の夏から導入が始まりました。
1942年の初めからJu 88C-5(MG 151/20 20mm 機関砲×1、MG 17 7.92mm 機関銃)が配備され始めました。Ju 88C-4までは液冷のJumo211系(1,200馬力〜1,420馬力)から空冷のBMW801A(1,560馬力)に換装されました。

Ju 88C-5Ju 88C-5のもう一つの特徴は、機首下のゴンドラを撤去し、胴体中央下部に「ヴァッフェントロッペェン(武器の水滴)」と呼ばれるMG 17 7.92mm 機関銃×2を内蔵したバルジを設けた点でした。
Ju 88C-0からC-5までのすべてを使用したのは、長距離夜間戦闘を実施していた第2夜間航空団第I飛行隊(I./NJG 2)だけでした。
そしてJu 88C型の決定版ともいえるJu 88C-6が1942年春から第2夜間航空団第I飛行隊(I./NJG 2)に配備され始めました。

元々戦闘機として開発されたBf 110は、運動性も速度もJu 88よりずっと高く、その上夜間航空団は駆逐航空団からの移転者が多いため、使い慣れた機材でした。またBf 110は生産数もJu 88よりずっと多く容易に補充が効くため、夜間航空団で広く用いられたのでした。Ju 88C-6の量産が進み、火力の強化やレーダーの大型が進むと性能に余裕があるJu 88が徐々に夜間航空団に使われ始めましたが、それは1942年秋まで待つ必要がありました。

Do 215

Bf 110やJu 88以外ではDo 17Z-7「カウツ1」が1940年末に第1線を退き、Do 17Z-10「カウツ2」が第2夜間航空団第I飛行隊(I./NJG 2)と訓練部隊の第101夜間航空団(NJG 101)で数機使われていましたが、これも1942年までした。
Do 215B-5「カウツ3」ドルニエがDo 17Zの後継機として開発したDo 215B-5「カウツ3」は、1941年の初めまでに合計20機が作られ、第1夜間航空団第II飛行隊(II./NJG 1)と第IV飛行隊(IV./NJG 1)で、1944年までほそぼそと使われていました。Do 215も性能的にはDo 17Zよりややましな程度で、凡作の域を出ませんでした。

イギリス空軍の夜間爆撃が、しだいに頻度を増すにしたがって現れた問題は、夜間戦闘機の不足でした。ちなみに、1941年9月の夜間航空団の装備予定機は254機、これに対して実際の装備機数は1941年9月9日の時点で263機(うち稼働機は174機)あり、予定数を上回っていました。
しかし5ヶ月後の1942年2月、夜間航空団の増設のほか各隊の装備機増加を含んで、予定数が367機になりました。にもかかわらず、1942年2月2日の配備実機は9月からたった2機増えただけの265機。72%の充足率に減少してしまっていました。このうち稼働機は159機なので、実質戦力としては定数の43%でしかありませんでした。

稼働率を上げるための整備も限界があり、機数不足の根本的な解決は増産以外にありません。もっとも夜間航空団の主力であるBf 110がまず足りない上に、駆逐戦闘機としての失敗がひびいて1941年の月間生産数は大幅に減少し、1941年2月、3月は100機(昼間用も含む)だったのが、9月からはわずか10機台に落ち込みました。それでも1942年3月以降は生産も回復し、月産20〜30機になりましたが、以前として前線での不足は続きました。

Ju 88C型は1941年4月まででいったん生産を打ち切られ、月産5機で再開したのが1941年12月でした。翌1942年2月以降は10〜20数機の生産が続きましたが、各隊へ行き渡るほどの数ではありませんでした。敵機の数が増え、夜間戦闘機が足りないのを航空省が理解したのが1941年の秋で、こうして前述の生産回復に繋がったわけですが、急速な増産は不可能で、既存の他機種からの転用が残された手段でした。

他に珍しいところでは、夜間創設期の”はみ出し中隊”の名残のように、単座戦闘機のBf 109E-3が、第1夜間航空団第10中隊(10./NJG 1)、ケルン実験夜間戦闘中隊、東部戦線の近距離夜間戦闘小隊で、1943年2月まで使われていました。これはのちに登場する単座夜間戦闘隊とはまったく別物で、Bf 109の装備も例外的な措置でありました。なお、後者の2つの隊は、カムフーバーの第XII航空軍団の下部組織ではありませんでした。

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メタデータ:

投稿者:IMAGEDRIVE
公開日時:2009年3月31日 22:57 更新日時:2010年3月14日 21:25
URL:http://www.nachtjagd.org/history/1942/1942_02.shtml

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