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明るい夜間戦闘

第二次世界大戦のヨーロッパ上空で繰り広げられたドイツとイギリス、アメリカの知られざる夜間戦闘の歴史や航空機、技術の紹介しています。

サーチライト帯の崩壊

ベルリンハンブルクルール地区などの重要都市の上空は、混成夜間戦闘空域とされ、「ヒンメルベット」による「暗い夜間戦闘」、サーチライトと共同する「明るい夜間戦闘」、それに高射砲を加えた、3種類の戦闘方式が行われていました。
これらの都市の住民にとって、次第に激しさを増す夜間空襲は、心労の最大の要因になっていました。ひたすら待避壕に逃げるしかない彼等の心の支えは、地上からは視認しがたい夜間戦闘機ではなく、夜空を彩る多数のサーチライトと高射砲でした。

都市を政治支配する党管区指導者たちは、市民のおびえを排除するため、カムフーバーが築いた前衛のサーチライト帯をはずし、都市周辺に再配置するようヒトラーに働きかけました。ヒトラーはこの要請に折れて、1942年の春にサーチライト帯を解体し、各都市へ移動させるよう処置しました。
カムフーバーが、1年半にわたって作り上げた「明るい夜間戦闘」のための施設は崩壊しましたが、逆に「ヒンメルベット」が増設され、機上レーダーの導入も始まり「暗い夜間戦闘」の態勢が強化されることになりました。

もっとも都市周辺で行われる「明るい夜間戦闘」や混成夜間戦闘空域は、夜間戦闘隊員にとって、抜き難い恐怖を伴っていました。味方の高射砲による誤射で撃墜される可能性が少なくなく、従って混成夜間戦闘空域とは言っても、高射砲の射撃空域での戦闘は避ける傾向がありました。
しかし、状況によっては都市の上空に進入して、味方の弾幕を縫いながら敵を追わなければならず、そんな時は高射砲部隊との間で、時限信管により一定高度以上で炸裂しないよう、事前に打ち合わされていました。味方の夜間戦闘機が高射砲の射撃空域にかかると、無線で搭乗員に警告が出される場合もあったようです。
それでも、通達の不徹底や射撃ミスなどは常にあり、パイロットも敵機を追うことに夢中になり、自ら弾幕の中へ突入するケースも少なくありませんでした。

1942年5月当時の夜間戦闘組織

組織 司令部 担当空域 部隊
第XII航空軍団(XII. Fliegerkorps) ゼイスト    
第1戦闘師団JD 1) ディーレン オランダ、北部ベルギー、ルール 第1夜間航空団NJG 1)
第2戦闘師団JD 2) シュターデ 北西部ドイツ、ベルリン 第3夜間航空団NJG 3)
第3戦闘師団JD 3) メッツ 北部フランス、南部ベルギー、西部ドイツ 第3夜間航空団第II飛行隊(II./NJG 3)
第4夜間航空団第III飛行隊(III./NJG 4)

こうした連日の激しい夜間戦闘の結果、夜間航空団は3月には41機、4月に46機、5月には59機と撃墜数を増やしていきました。

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メタデータ:

投稿者:IMAGEDRIVE
公開日時:2009年4月26日 23:23 更新日時:2010年3月14日 23:57
URL:http://www.nachtjagd.org/history/1942/1942_06.shtml

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