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明るい夜間戦闘

第二次世界大戦のヨーロッパ上空で繰り広げられたドイツとイギリス、アメリカの知られざる夜間戦闘の歴史や航空機、技術の紹介しています。

アーサー・ハリスの1,000機爆撃作戦

アーサー・ハリス夜間防空能力が向上するドイツ空軍に対して、イギリス空軍もこれまでとは隔絶した爆撃作戦を準備していました。”ボマー”ハリスの異名をとった、イギリス空軍爆撃機兵団司令官アーサー・ハリス中将1892年4月13日イギリス空軍の悩みは、目覚ましい戦果があがらないため、戦力の増強を強く要求しかねることでした。そこで彼が描いたのが、一気に1,000機の爆撃機を繰り出して、ドイツの夜間防空能力を力押しで突破する構想でした。

ドイツの夜間航空団の装備機は約300機、稼働機は200機が、仮に一対一で対峙しても、残り700機の爆撃機は、その間に目標上空に到達、都市の対空砲火の中で大爆撃を敢行する。予期せぬ大量の爆弾に、地上の消火活動も手が回らないという状態を生むのが狙いでした。これに成功すれば、爆撃機兵団の威力が見直され、急速な拡充を望めました。もちろん失敗の可能性もありましたが、ハリスは賭けに出たのでした。

この時イギリス空軍爆撃機兵団の実戦部隊の稼働数は、合わせて416機。装備機を全部使えるようにしても550機が限界でした。ハリス中将は、訓練中の部隊の装備機を500機近くかき集め、なんとか1,000機を揃えてみせました。
また爆撃効果を上げるため大編隊群の目標到達率を上げることが必要でした。これを可能にしたのが、大量生産に成功していたGEEでした。すでに3月28日の満月の夜に、191機でリューベックに低空から400tの夜間焼夷弾を投弾し、900平方キロを焼き尽くして都市に対する無差別空襲の効果は実証済みでした。

1942年5月30日の夜、合計1,047機が翌日未明の投弾をめざしてイギリス本土を飛び出しました。出撃した630機はビッカースウェリントン」、ハンドレページハンプデン」およびアームストロング・ホイットワースホイットレイ」双発中型爆撃機でしたが、265機は4発重爆ショートスターリング」、ハンドレページハリファックス」、双発爆撃アヴロマンチェスター」、そして残る73機が最新鋭の4発重爆アヴロランカスター」でした。

「ランカスター」は「マンチェスター」を4発化した発展型で、1942年3月に初めて実戦配備された、イギリス空軍の新鋭機でした。以後「ランカスター」はイギリス爆撃機兵団の主力の座を占め、延べ148,400機が空襲に従事し、2位の「ハリファックス」の延べ73,300機を大きく引き離すことになります。

イギリス空軍は出撃機数に語呂をあわせて、この大爆撃を「ミレニアム」作戦と名付けましたが、主目標を爆撃できたのは868機(一説には898機)に留まりました。しかし、その威力は絶大でした。
月明かりの好条件でありましたが、ドイツの夜間戦闘機と高射砲は、次から次へと進入する大量の敵機の群れを捕まえきれず、ケルンは1時間40分にわたって1,455tの焼夷弾、爆撃に焼かれました。

爆撃機の流れがケルンへ向かう途中に、第1夜間航空団第II飛行隊(II./NJG 1)がいるベルギーのサン・トロンがありました。敵機来襲の情報が入ると、ただちにBf 110が離陸し、それぞれの指定信号標識の上空へ向かいました。
後席にヴェニング兵長を乗せたヘルムート・ニクラス少尉のBf 110E型、「ヒンメルベット」基地に近い信号標識を眼下に、高度3,000m飛行中、500mかなたに「ウェリントン」を視認しました。相手もほぼ同時にBf 110を見つけ、いきなり旋回をうって離脱を計る。後席の要具袋が浮き上がるほど急迫でまず一撃をかけたが当たらず、敵弾もあさっての方向へ飛んでいきました。
次はうまく後方に占位でき、ギリギリまで間合いを詰めて第2撃を撃ち込む。こんどは命中し、「ウェリントン」の左翼から出火しました。いったん離れ、再接近しての第3撃は主翼と胴体に吸い込まれました。火勢を増した敵機は落下、地上にぶつかる直前で大爆発しました。1年10ヶ月後に戦死するまでに8機を撃墜するニクラスの初戦果でした。

所定の高度にもどり、管制官の指示を受けて、700m前方に航行中の2機目の敵を捕捉する。これも「ウェリントン」。みるみる近づき、衝突寸前で放った最初の連射が命中弾になったと知った時、尾部銃座からの7.7mm機銃が少尉の左腕に当たり、慌てて離脱しました。
ヴェニング兵長が後席から身を乗り出して、コードで止血処置をほどこす。コンパスが被弾で壊れて方位が不明なため、灯火管制中の基地に滑走路灯の用意を頼みましたが、点灯が遅れ、不時着地帯の草原に胴体着陸できわどく滑り込みました。

ニクラス機の戦果を含め、第1夜間航空団第II飛行隊(III./NJG 1)は8機の撃墜を報告。該当空域の夜間戦闘部隊は精いっぱいの抵抗をしたが、イギリス空軍の未帰還は「ウェリントン」が主体の41機、出撃数の3.9%に留まりました。
ハリスの読みは当たりました。本国方面に散らばる出動可能な夜間戦闘機230機のうち、「ヒンメルベット」の誘導を受けて邀撃に加われたのは、わずか25機にすぎませんでした。

爆撃後のケルンの惨状全半焼家屋が13,000戸に達したケルンの惨状、すなわち爆撃の成功を知ったチャーチルは、ハリス中将に祝電を打ち、「これは、イギリス空軍戦力の成長の証であり、また今後、ドイツの都市という都市が受けるであろう先例である」と伝えました。”ボマー”ハリスは、賭けに勝ったのでした。

1942年6月1日〜2日956機によるエッセン爆撃、25日〜26日に沿岸航空隊まで加えた1,067機によるブレーメン爆撃と、2度の夜間「ミレニアム」を実施しました。しかし、上空を雲が厚くおおうなどの悪条件のため、予期したほどの成果はあげられず、それぞれ31機、53機を損失。ハリスは、無理をかさねて育成中の爆撃戦力に亀裂を生じてはと、以後「ミレニアム」を手控えました。爆撃機兵団の威力を政府首脳部や国民に知らしめた以上、もう無理をする必要はなかったのでした。

3度の大空襲に対してヒトラーは、イギリス都市への同規模の往復爆撃を、総参謀長のハンス・イェショネクに命じました。ゲーリングともども、いまだにイギリス空軍の爆撃攻勢をあまく見ていた彼らの思惑とは裏腹に、大型爆撃機を持たないうえ戦力集中がかなわないドイツ空軍には、到底不可能な相談でした。

イギリス爆撃機兵団は1942年中に4発重爆トリオの装備を進め、戦力を増してゆきました。その後の出撃は、200機から300機の規模に戻して行われましたが、爆撃精度はGEEの威力により3倍に強化されていました。
イギリス空軍の目標到達率の急激な向上をいぶかしんだドイツ軍は、GEEの存在に気付き、「ハインリヒ」電波妨害装置を作り上げて、ヨーロッパの占領区域に展開させました。このため、イギリス爆撃機部隊の作戦効率は8月から、ふたたび旧に復してしまいました。
やがてはGEEがドイツ側の妨害を受けるだろう、と予測していたイギリス空軍が、続いて繰り出すのは、ベテラン搭乗員ばかりを集め、爆撃機群の先導および目標指示だけを任務とする集団、パスファインダー・フォースである。地形表示レーダーH2Sや爆撃目標への新型誘導装置「オーボエ」を装備した彼等の乗機が、ドイツの夜空へ進入するのは、1943年になってからでした。

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投稿者:IMAGEDRIVE
公開日時:2009年5月 9日 00:01 更新日時:2010年3月15日 00:06
URL:http://www.nachtjagd.org/history/1942/1942_07.shtml

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