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明るい夜間戦闘

第二次世界大戦のヨーロッパ上空で繰り広げられたドイツとイギリス、アメリカの知られざる夜間戦闘の歴史や航空機、技術の紹介しています。

アメリカ陸軍第8航空軍と空の要塞

アイラ・C・エーカー1942年8月17日の午後、イギリス空軍のスーパーマリンスピットファイア」の編隊に護衛された第97爆撃群所属の12機(もしくは18機)のボーイング B-17E「フライング・フォートレス」が、セーヌ川に沿ったルーアン上空に現れました。高度7,000mから爆弾を投下し、操車場に命中し、建物やトラックを破壊しました。
これが、イギリス本後から発進したアメリカ陸軍第8航空軍による、初めての爆撃作戦でした。爆撃機兵団司令官アイラ・C・エーカー准将1896年4月13日アメリカ陸軍航空軍みずからが乗り込んで、爆撃の一部始終を観察するといった徹底ぶりでした。

アメリカ陸軍航空軍は、すでに1942年6月にルーマニアのプロエシティ油田を攻撃し、ヨーロッパでの爆撃作戦を開始していました。
しかし、これはエジプトの基地を飛び立った第12(9?)航空軍の所属機が行った空襲で、ドイツ本土戦略爆撃の主務者はイギリスを本拠地にした第8航空軍でした。

ボーイング B-17E「フライング・フォートレス」エーカー准将らは1942年2月下旬にイギリスに到着後、6ヶ月のあいだイギリス空軍の作戦を研究しました。イギリス空軍はこれまでの経験から、対ドイツ爆撃は夜間に行うべきであると主張しましたが、エーカー准将とアメリカ陸軍第8航空軍は受け入れませんでした。

当時、「スピットファイア」はパリ南方、ロッテルダム東方あたりまでしか航続力がなく、アメリカ陸軍第8航空軍はそのあと護衛無しでドイツ軍の占領地区へ侵入しなければなりませんでした。
エーカー准将らは高性能を誇る「ノルデン」爆撃照準器を用いた昼間精密爆撃を主張し、B-17の重武装と、ターボ過給器による高高度での飛行性能とで、ドイツ戦闘機を圧倒できると考えていたからです。ドイツ空軍の迎撃に対抗する自信がなければ、護衛なしの昼間爆撃は実行できないものでした。

しかし昼間爆撃を開始したアメリカ陸軍第8航空軍の爆撃行は苛烈を極めました。1942年の秋から冬にかけては、フランスやベルギーなどドイツ占領地域の沿岸部を目標にする程度でしたが、1943年に入ってドイツ本国に侵入し、しだいに遠い目標を狙うようになると、損害は激増しました。
ドイツ空軍もB-17と、続いて参戦したコンソリデーテッド B-24「リベレーター」の重武装や防御力には驚嘆しましたが、一機また一機と撃墜しました。

アメリカ陸軍第8航空軍の苦難は、リパブリック P-47「サンダーボルト」、ロッキード P-38「ライトニング」の航続力が増して薄らいでいき、1943年末からノースアメリカン P-51「マスタング」が護衛につくようになってようやく解消するのでした。

アメリカ陸軍第8航空軍の参加で、ドイツ空軍は夜も昼も闘い抜かねばならなくなり、そのプロローグが1942年8月17日でした。

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投稿者:IMAGEDRIVE
公開日時:2009年5月26日 22:25 更新日時:2010年3月16日 00:29
URL:http://www.nachtjagd.org/history/1942/1942_08.shtml

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