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明るい夜間戦闘

第二次世界大戦のヨーロッパ上空で繰り広げられたドイツとイギリス、アメリカの知られざる夜間戦闘の歴史や航空機、技術の紹介しています。

イギリス軍電子戦部隊と対レーダー兵器

1942年8月17日のアメリカ陸軍第8航空軍による初爆撃に同調して、イギリス空軍の対ドイツレーダーに対する妨害が初めて行われました。

ボールトンポール デファイアント Mk.I1942年4月にムーンシャインを装備したボールトンポールデファイアント」による部隊が編成されました。
ムーンシャインフライアの電波を増幅して送り返し、そのスコープ上に密集大編隊を出現させる装置で、8月6日にフライアの妨害実験を実施して、虚像に騙されたドイツ空軍の昼間戦闘機隊が邀撃に上がってきて、成功を見ました。
そして8月17日の本番、デファイアントに積まれたムーンシャインは、テームズ川上空に架空の大編隊を出現させました。ドイツ空軍はこれに注意をひかれ、ルーアンへのアメリカ爆撃機に邀撃機の半分だけを振り向けて、偽の大編隊に備えるため残りを発進させませんでした。

しかしムーンシャインにも欠点がありました。
一つはフライアが125Mhzを平均として周波数に幅を持たせてあったため、1機の「デファイアント」で1基のフライアしか相手にできないことでした。したがって、沿岸に並べられた多数のフライアによる早期警戒網をくらませるには、それと同数のムーンシャインを装備したデファイアントが必要であり、さらに見つからないように敵の視界外を飛ばねばならない不便を伴っていました。
もう一つは、イギリス空軍の各爆撃機が実際にはかなりの間隔をあけて侵入してくるのに対し、スコープには密集編隊として映るため、すぐにドイツ側に見破られてしまうことでした。
このためムーンシャインは、密集編隊を組むアメリカ航空軍の昼間爆撃にしか使えず、また効力の弱さもあって、1942年秋には使用中止になりました。

続くマンドリルは、調節の悪いテレビのようにスコープの画面を乱してしまう方式なのでこうした欠点はなく、1942年12月のイギリス空軍によるマンハイム爆撃時に、ティンセルとともに用いられました。
ティンセルは、爆撃機の無線手が英語以外の無線通話を効いた時、自機のエンジン音を流して夜間戦闘機と地上との通話を妨害する装置でした。
マンドリルティンセルの参加により、マンハイム爆撃の損失は出撃機数の3.3%に抑えられ、効力を実証しました。

ムーンシャインやマンドリルも、100数Mhzの低周波数レーダーの妨害装置であり、マンドリルフライアのほかに、周波数の似たマムートおよびヴァッセルマンも妨害できましたが、560Mhzと高周波数のヴュルツブルクヴュルツブルク・リーゼに対しては、なんの効果も得られませんでした。
当時の技術では、このクラスの周波数のレーダーを、電波で直接に妨害するのは困難でしたが、イギリス空軍に策がないわけではありませんでした。

フランスのル・アーブルへ空挺部隊を降下させるなど、ヴュルツブルクの入手にやっきになっていたイギリス空軍は、北アフリカで1基を捕獲し、周波数、波長、探索距離などのデータをつかんでいました。
ヴュルツブルクを妨害する手段は簡単なもので、それはレーダー波長(53cm)の半分の長さにした金属片を大量に捲いて、レーダーに感応させることでした。これはスクリーンに大編隊となって現れ、夜間の目であるレーダーは乱れ、どこに真の敵機群がいるのか分からなくなってしまうのでした。

この妨害方法は、べつに目新しいものではありませんでした。1942年から1943年にかけてのガダルカナル島攻防戦で、日本の航空部隊が米軍のレーダーを撹乱するため、スズ箔を細長く切ったものを、電探欺瞞紙または妨害片と呼んで使っていました。
イギリスもドイツも、やり方は知っていましたが、互いに相手がまねて使用してきたときのことを考え、実戦で使うことを手控えていました。

イギリス空軍第515飛行隊

第515飛行隊(Cleriter ferite ut hostes nacesit)第515飛行隊(No. 515 Squadron)は1942年10月1日にノーソルト基地戦闘機軍団(Fighter Command)の第11航空群(No. 11 Group)の一部から編成されました。この部隊はムーンシャインを装備したデファイアント Ml.IIでレーダー妨害を任務としました。

後にヘストン基地に移動し、1943年5月(6月)からにブリストルボーファイター」 Mk.IIFへ機種転換を始め、同年12月までに完了しました。しかし、第515飛行隊(No. 515 Squadron)は8月まで作戦行動を行わず、1944年1月まで機上搭載レーダーの調整や迎撃に参加しました。

1943年12月に爆撃機軍団(Bomber Command)の第100航空群(No. 100 Group)に編入され、ノーフォークリトルスノーリング基地に移動しました。その後、1944年3月にデハビランドモスキート」とに機種転換し、作戦に従事しました。

1945年6月10日にリトルスノーリングで解隊しました。

参考資料

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メタデータ:

投稿者:IMAGEDRIVE
公開日時:2009年5月31日 01:43 更新日時:2010年3月16日 00:51
URL:http://www.nachtjagd.org/history/1942/1942_09.shtml

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