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明るい夜間戦闘

第二次世界大戦のヨーロッパ上空で繰り広げられたドイツとイギリス、アメリカの知られざる夜間戦闘の歴史や航空機、技術の紹介しています。

第5夜間航空団(NJG 5)の創設とリヒテンシュタイン

ヨーゼフ・カムフーバー中将1896年8月19日ドイツ空軍は1942年9月までに、地上レーダー「ヴュルツブルク」の探索能力を2倍にした「ヴュルツブルク・リーゼ」を600基、夜間航空団を8個と人員15万名を整えようとしました。「ミレニアム」を3度被り、時を追って強化されるイギリス空軍の夜間爆撃に、立ち向かわなければならない。
カムフーバーは「ヒンメルベット」基地の縦深を増し、ドイツ全土に張り巡らして、多数の夜間戦闘機を繰り出すしか防ぐ手だてはないと考えていました。しかし当時の「ヴュルツブルク・リーゼ」は月産30基で、特殊な機材だけに急速な増産はできませんでした。

スターリングラードで戦うドイツ兵夜間航空団の増設も、思い通りには行きませんでした。北アフリカではアフリカ軍団が撤退しつつあり、東部戦線ではスターリングラードで第6軍が包囲されるなど、伸び切った戦線で崩壊が始まっていました。
航空戦力はどこでも不足しており、防御を軽視するドイツ空軍が、夜間航空団だけに自由な増強を許すはずはありませんでした。そうした状況のもとで、1942年の秋から年末までに、5個飛行隊の増強が実施されました。

まず1942年9月、1941年末に駆逐航空団に復して東部戦線へ出され、空白のままだった第4夜間航空団第I飛行隊(I./NJG 4)が、第3夜間航空団第I飛行隊(I./NJG 3)と第4夜間航空団第III飛行隊(III./NJG 4)の一部を抽出して再編成されました。
同じ1942年9月、5番目の夜間航空団、第5夜間航空団NJG 5)の新設が行われました。このとき編成されたのは第I飛行隊(I./NJG 5)だけで、これは第2駆逐航空団ZG 2)(2代目で、1942年4月に編成)の第III飛行隊(III./ZG 2)が基幹になっています。

1942年10月1日に新たに編成された第1夜間航空団第IV飛行隊(IV./NJG 1)の編成は経緯はいささかややこしく、第2夜間航空団第II飛行隊(II./NJG 2)が改称されたものでした。このため第2夜間航空団第III飛行隊(III./NJG 2)が、第II飛行隊(II./NJG 2)に繰り上がり、第III飛行隊(III./NJG 2)は解隊になりました。
この第2夜間航空団第III飛行隊(III./NJG 2)は、そっくり第II飛行隊(II./NJG 2)に移ったわけでなく、1部が残されて、1942年11月に編成された第3夜間航空団第IV飛行隊(IV./NJG 3)の核になりました。

そして11月に1942年最後の新編成飛行隊である第5夜間航空団第II飛行隊(II./NJG 5)と第IV飛行隊(IV./NJG 5)ができ上がりました。両飛行隊は、まったくの新設部隊で、他の隊を改編したものではありませんでした。
これで第5夜間航空団には第I飛行隊(I./NJG 5)、第II飛行隊(II./NJG 5)、第IV飛行隊(IV./NJG 5)の3個飛行隊ができましたが、第III飛行隊(III./NJG 5)の編成は1943年4月になされましたが、先に第IV飛行隊(IV./NJG 5)が編成された理由は定かではありません。

こうして1942年12月までに、夜間航空団はカムフーバーの要求には及ばないものの、5個夜間航空団・16個夜間飛行隊(うち2個飛行隊は地中海方面に派遣中)に成長していました。1942年12月における装備予定数は548機で、8月の465機に比べて80機以上の増強がなされました。しかし、実際の装備数は12月10日時点で375機、予定の65%の充足率でしかなく、8月にくらべて53機増えているだけでした。

電波の目

FuG 202を装備したDo 217 J2カムフーバーが期待した夜間戦闘機の目、機上搭載レーダー FuG 202 リヒテンシュタイン B/Cは、1942年2月からBf 110やJu 88に装備され始め、少しずつ実戦部隊への導入されはじめました。しかし、予想に反し搭乗員たちはこの新兵器の登場をたいして喜びませんでした。

その理由はまず取り扱いの不慣れ、故障などによるトラブルが多かったことでした。精密な調整を必要とするレーダー装備を緊迫した夜間戦闘のさなかに操作し続けるのは、操縦をしないレーダー手でも容易ではありませんでした。さらに陰極線管に現れる輝線の乱れを見て、敵機の方向をすみやかに判断するには、かなりの熟練を必要としました。
また、FuG 202 リヒテンシュタイン B/Cの発射電波の履域が狭いため、レーダー手の指示に合わせて、細かな操舵を行うことなどがパイロットの負担増にも繋がりました。ようやく「ヒンメルベット」方式に馴染んだ搭乗員たちが、新機材に習熟しなくとも十分にやれると考えるのは無理からぬ心情でした。

そして彼等の不評を買った原因がもう一つありました。それは鉄条網(ドラートフェルハウ)とあだ名されたレーダーアンテナを機首に装備するために空気抵抗が増し、重量増加も相まって、飛行速度が低下することでした。
FuG 202 リヒテンシュタイン B/Cを積んだときの速度低下は、主力機Bf 110で毎時40kmにも達し、機体の大きなJu 88やDo 217は毎時10〜20km程度の低下ですみましたが、それでも速度を頼みをするパイロットに好まれるはずはありませんでした。
パイロットたちが初期の当惑をこえ、機載レーダーの有効性を確認し始めたのは1942年夏以降であり、器材の信頼性向上とあいまって、本当にその威力が発揮されるのは1943年を待たねばなりませんでした。

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投稿者:IMAGEDRIVE
公開日時:2009年5月31日 21:37 更新日時:2010年3月16日 23:45
URL:http://www.nachtjagd.org/history/1942/1942_10.shtml

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