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明るい夜間戦闘

第二次世界大戦のヨーロッパ上空で繰り広げられたドイツとイギリス、アメリカの知られざる夜間戦闘の歴史や航空機、技術の紹介しています。

1942年の総決算

1942年9月10日は、ヨーゼフ・カムフーバー中将1896年8月19日ドイツ空軍第XII航空軍団(XII. Fliegerkorps)にとって、記念すべき日になりました。
1940年6月に夜間航空団が設立されて以来の撃墜戦果の総計が、この日でちょうど1,000機に達したのでした。その内訳は、648機が「暗い夜間戦闘」によるもの、200機が「明るい夜間戦闘」、141機が「遠距離夜間戦闘」によるものでした。残る11機は厳密には夜間航空団の戦果とは言えませんでしたが、サーチライトに眩惑されて墜落した敵機である夜間戦闘機はいちおう追撃してこれを視認したから、戦果に数えたのかもしれません。
いずれにせよ、創設2年ほどで1,000機の撃墜戦果は、決して低い数字ではありません。そのうちの3分の2近くが「暗い夜間戦闘」でなされたことが、「ヒンメルベット」方式の有効性を物語っていました。

1942年1年間の夜間戦闘による合計撃墜数は780機。このうち51機が地中海方面(第2夜間航空団第I飛行隊(I./NJG 2)、第II飛行隊(II./NJG 2)の戦果)、38機が東部戦線(駆逐航空団ZG)の戦果)で、残る691機がドイツ本土およびその周辺で夜間航空団NJG)があげたものでした。691機の中には4機の昼間撃墜を含んでおり、本土方面での夜間撃墜は687機になりました。

1941年のドイツ本土方面の夜間撃墜は421機だったので、1.6倍以上の戦果をあげたことになります。これは「ヒンメルベット」方式の戦法定着と夜間航空団NJG)の戦力の強化、それに侵入機の増加(延べ27,000機から33,000機へ)の3点が要因になりました。
月間の最高撃墜数は、2回の「1,000機爆撃」が影響している6月の147機。以後7月102機、8月100機と、イギリス空軍の爆撃機と激しい夜間空戦が3ヶ月にわたって続きました。
100機台の月間撃墜数は夜間航空団NJG)の設立後はじめて達成された記録でしたが、夜間戦闘のクライマックスはまだ先のことでした。

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投稿者:IMAGEDRIVE
公開日時:2009年5月31日 22:00 更新日時:2010年3月16日 23:51
URL:http://www.nachtjagd.org/history/1942/1942_11.shtml

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