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明るい夜間戦闘

第二次世界大戦のヨーロッパ上空で繰り広げられたドイツとイギリス、アメリカの知られざる夜間戦闘の歴史や航空機、技術の紹介しています。

アメリカ陸軍第8航空軍のドイツ本土爆撃

しばらくの間はドイツ本土ではなく、ドイツ占領地域への昼間爆撃を行っていたアメリカ陸軍第8航空軍は、1943年1月27日にB-17とB-24の混成でエムデンヴィルヘルムスハーフェンを爆撃しました。ついにアメリカの爆撃機がドイツ本土に姿を現したのでした。

Adolf Gallandこの時、ドイツの昼間の防空を担当していたのは第1戦闘航空団JG 1)、第2戦闘航空団JG 2)、第26戦闘航空団JG 26)の3個戦闘航空団JG)のみで、可動機数350機では、十分な数とは言えませんでした。
ドイツ空軍は他の戦線より戦闘機隊の呼び戻しにかかりましたが、拡大した各戦線航空戦力は不足しており、簡単に引き抜けるはずもありませんでした。戦闘機隊総監アドルフ・ガーランド少将が、本土防空の必要性を説き続けたにも関わらず、ゲーリングは「東部戦線さえ片づければ」と高をくくりおざなりにしたツケが、今に回ってきたのでした

アメリカの爆撃機編隊は航続力不足のため護衛戦闘機と分かれ、爆撃機単独でドイツ本土に侵入しました。相手が爆撃機なら駆逐戦闘機も十分に約に立ち、火力の面では単発戦闘機よりも強力でした。1943年初めの時点で3個あった駆逐航空団ZG)は、西部戦線では戦える余地はなかったので、東部戦線と地中海方面に展開していました。これらの部隊が本土方面に戻ってくるまで、手近の戦力でカバーするため駆逐戦闘機装備の夜間航空団NJG)に白羽の矢があたることになりました。
次第に本格化するイギリス空軍の夜間爆撃に立ち向かう夜間航空団NJG)の隊員にとって、昼間は休息の時間でしたが背に腹は代えられず、1943年2月早々から爆撃機に対する昼間邀撃が開始されました。

1943年2月4日にアメリカ陸軍第8航空軍は、北海を越えて北部ドイツ沿岸から侵入し、ルール工業地帯を叩くベく86機を出撃させました。
2月2日に悪天候で失敗しての2度目のルール爆撃でしたが、この日も零下40°の極寒と雲に邪魔されてルールへは投弾できませんでした。やむなく39機は、北海沿岸部のエムデンを爆撃するのでした。この時、B-17の搭乗員たちは、迎撃にあがったFw 190に混じって攻撃を仕掛けてくるBf 110を目撃するのでした。

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メタデータ:

投稿者:IMAGEDRIVE
公開日時:2009年6月11日 23:22 更新日時:2009年6月19日 01:00
URL:http://www.nachtjagd.org/history/1943/1943_01.shtml

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