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明るい夜間戦闘

第二次世界大戦のヨーロッパ上空で繰り広げられたドイツとイギリス、アメリカの知られざる夜間戦闘の歴史や航空機、技術の紹介しています。

対重爆撃機迎撃による夜間航空団の損失

1943年2月26日、ついにパイロットの損失が起きました。ヴィルヘルムスハーフェンを襲ったB-17に対してヤープス大尉は12機のBf 110を率いて迎撃にあがりました。このうち1機が、地上からのレーダーによる誘導によって初撃墜と機上搭載レーダーを用いた初撃墜の2つの記録を持つ、第1夜間航空団第12中隊(12./NJG 1)長ルートヴィヒ・ベッカー大尉でした。
後席にヨーゼフ・シュタウプ曹長を乗せたベッカー大尉のBf 110は、重爆撃機に向かって突進していくのを最後に行方不明になってしまいました。ベッカーの戦果はこの時46機(すべて夜間)。夜間戦闘機エクスペルテン中で第3位を占めていた彼は、大半の40機の撃墜に同乗したシュタウプ曹長とともにたった1回の昼間戦闘で戦死したのでした。

ラインホルト・クナッケなお損失は続きました。1943年2月3日の夜に第1夜間航空団第3中隊(3./NJG 1)長のラインホルト・クナッケ大尉が、英爆撃機2機を撃墜したのちに被弾して戦死しました。
続いて1943年2月24日には第1夜間航空団第IV飛行隊(IV./NJG 1)のパウル・ギルトナー中尉がヒルゼ・ライエン基地上空でエンジンからの発火で墜落死。この二人は昼間戦闘による死亡ではありませんでしたが、わずか1ヶ月を待たずに夜間撃墜40機台、柏葉付き騎士十字章(空軍で101人に授与)を受けた3人のエクスペルテンを一気に失った第1夜間航空団(NJG 1)の衝撃は大きいものでした。
夜間航空団の昼間迎撃はその後も実施され損失は続きました。彼等は夜間戦闘の慣れから接近しすぎ、B-17、B-24の猛烈な防御火力の前に倒れていきました。「ランカスター」の7.7mm機銃8梃に比べ、B-17の防御武装は12.7mm機銃8梃、7.62mm機銃1梃と格段に強力でした。

機材の損失は補充することでなんとかなりましたが、人員の補充はそう簡単にはいきませんでした。特に夜間航空団の人員は夜間航行・攻撃、レーダーやサーチライトとの連携、機上搭載レーダーの操作など搭乗員の育成に手間がかかるのでした。安易な運用は簡単には回復できない損失として夜間航空団に返ってくるのでした。

夜間戦闘機搭乗員の死は夜間防空の戦力低下にすぐさま跳ね返ってきました。ドイツの各都市に襲いかかるイギリス空軍の爆撃機の流れを押しとどめなければ、ドイツ国民の戦意喪失に繋がるので、影響は予想以上に大きくなりました。
ドイツ空軍は夜間航空団の損失を抑えるために、戦闘航空団の一部と駆逐航空団の大半を呼び戻しにかかり、また新たに2代目の第76駆逐航空団ZG 76)を再編成しましたが、それでも夜間航空団が昼間邀撃から解放されるのは1943年夏をすぎてからでした。

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投稿者:IMAGEDRIVE
公開日時:2009年6月14日 22:01 更新日時:2009年6月19日 00:37
URL:http://www.nachtjagd.org/history/1943/1943_03.shtml

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