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明るい夜間戦闘

第二次世界大戦のヨーロッパ上空で繰り広げられたドイツとイギリス、アメリカの知られざる夜間戦闘の歴史や航空機、技術の紹介しています。

ハヨ・ヘルマンの単発夜間戦闘機隊

ハヨ・ヘルマン1943年の初め、ハヨ・ヘルマン少佐はカムフーバーに「敵の目標になる都市上空で、昼間用の単発戦闘機を使って敵機を攻撃してみては」と提言していました。
都市の上空は高射砲用のサーチライトで明るく、敵機が投下する目標指示弾や照明弾も光っており敵爆撃機の機影を視認・補足するに十分な視界は得ることができるというのが彼の意見でした。

単発戦闘機のほうが双発の夜間戦闘機よりも運動性が良く、航続距離の短さは近くの基地に降りて給油すればカバーできました。要は夜間航空団創立当時の「明るい夜間戦闘」に戻すということでした。
もちろんヘルマン少佐はこれを夜間戦闘の主戦法にするつもりはなく、「暗い夜間戦闘」の補助にするつもりでした。ただ、地上と機上搭載の両レーダーが充実しつつあるのと、カムフーバー自身が高射砲弾が飛び交う都市上空での空戦を嫌っていることもあってヘルマン少佐の申し出を受け付けませんでした。

1943年3月1日のベルリン空襲を高射砲師団の司令部で見ていたヘルマン少佐は、「これならやれる」と思い、さっそく顔なじみの爆撃機から戦闘機に転科したパイロットを集めにかかりました。
彼らは爆撃機に乗っていた頃に敵の弾幕のなかをくぐっており、高射砲弾を恐れないと考えたのでした。

1943年4月初め、ヘルマン少佐はカムフーバーの上官である中部空軍(Luftwaffenbefehlshaber Mitte)(臨時編成された第XII航空軍団(XII. Fliegerkorps)の上部組織)司令官のフーベルト・ヴァイゼ上級大将に会い主旨を話しました。
ヴァイゼ上級大将はドイツの高射砲による誤射を危惧しながらも彼の申し出を了承し、ヘルマン実験隊のスタートが決まりました。
しかし、あくまで実験隊なので機材のBf 109、Fw 190十数機は第11戦闘航空団JG 11)からの借り物でした。

ハヨ・ヘルマン少佐は、コンドル軍団第5爆撃航空団KG 5)の一員としてスペイン内戦やバトル・オブ・ブリテンを戦いました。ノルウェーでは第30爆撃航空団III飛行隊(III./KG 30)の飛行隊長としてPQ-17攻撃を指揮しました。出撃回数320回、艦船12隻、70,000t前後の撃沈戦果をあげていました。

1942年7月からはドイツ空軍の作戦スタッフとして活動し、単発戦闘機による夜間戦闘を可能にする「ヴィルデ・ザウ」戦法の考案や、「ヴィルデ・ザウ」実施部隊である第300戦闘航空団JG 300)の設立、大戦末期には爆撃機に対する空対空体当たりを実施するエルベ特別攻撃隊Skdo. Elbe)の提案・編成を行いました。

ヴィルデ・ザウ」や第300戦闘航空団JG 300)は後述しますが、エルベ特別攻撃隊は取り扱いません。

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メタデータ:

投稿者:IMAGEDRIVE
公開日時:2009年6月28日 22:49 更新日時:2009年7月 1日 21:11
URL:http://www.nachtjagd.org/history/1943/1943_05.shtml

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