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明るい夜間戦闘

第二次世界大戦のヨーロッパ上空で繰り広げられたドイツとイギリス、アメリカの知られざる夜間戦闘の歴史や航空機、技術の紹介しています。

ハインケル He 219の初陣

FuG 212 リヒテンシュタイン C-1を装備したHe 219A-01943年6月の初め、オランダのフェンローに展開する第1夜間航空団第I飛行隊(I./NJG 1)へ見慣れない飛行機が届けられました。これこそ夜間航空団が待ちに待った夜間戦闘専用に開発されたハインケル He 219でした。

原型1号機であるHe 219V1の初飛行が1942年11月15日なので、7ヶ月を待たずして実戦部隊に配備されたことになります。しかもこの配備された機体も先行量産型のHe 219A-0で本来の量産型ではありませんでしたが、第1夜間航空団第I飛行隊(I./NJG 1)の飛行隊長ヴェルナー・シュトライプ少佐が急がせて配備させたものでした。
整備を終えたのち、シュトライプ少佐はすぐにこのHe 219A-0に搭乗しテスト飛行を行い、わずか7回のテスト飛行でたちまちHe 219の特徴をつかみ取りました。
そして1943年6月11日の夜、ハインケルから来た派遣技師や整備員らに見送られてフェンローから夜の空に飛び立ちました。パイロットはシュトライプ少佐、レーダー手はフィッシャー伍長でした。

この夜イギリス爆撃機兵団は700機以上でルールの一角、デュッセルドルフを目指していました。この爆撃機の流れに飛び込んだシュトライプのHe 219はフィッシャー伍長が操るFuG 212 リヒテンシュタイン C-1の誘導に従いまず一機を捕捉すると、胴体下部のMk 108 30mm機関砲4門と主翼付け根のMG 151/20 20mm機関砲2門が火を噴きました。
フェンローの指揮室でシュトライプの空戦の経過を待っていた隊員や派遣技師たちは、突然に無線機から響いてきたシュトライプの「パウケ・パウケ」の声に歓声を上げました。シュトライプが1機撃墜したのでした。
しかし驚くことに、これから30分間のうちに「パウケ・パウケ」と叫ぶ声が4度繰り返されました。たった1回の出撃で、「ランカスター」を5機撃墜したのです。一夜で5機以上の戦果は5人目の快挙でしたが、初めて実戦に用いた試作機で達成したのは驚嘆に価しました。

「パウケ・パウケ」とは夜間航空団NJG)で用いられた攻撃開始を意味する無線符丁。パウケとはドイツ語でティンパニーの意味。

華々しい初陣を飾ったシュトライプのHe 219A-0は6月12日の未明にフェンローに戻ってきました。しかしシュトライプは無事に着陸できるかどうか危ぶみました。
敵機のエンジンから少しずつ漏れるオイルのためキャノピーは汚れて視界を塞いでおり、フラップも故障して着陸時に速度を落とせませんでした。

着陸に失敗し、大破したシュトライプのHe 219A-0基地で待つ隊員たちが見守る中、シュトライプは高速のまま着陸姿勢に入り右に傾いたまま接地しました。右側のエンジンは飛散し、前転してひっくり返った衝撃でコクピットのある機種部は折れて50mほど吹き飛びました。しかし奇跡的にもシュトライプとフィッシャーは無傷でコクピットからはい出してきました。
この奮戦に喜んだヨーゼフ・カムフーバー中将は翌朝、ハインケル社とエルンスト・ハインケル宛に感謝の電文を送りました。

シュトライプ少佐の戦果は決して、シュトライプ自身の腕だけによるものではありませんでした。その後、第1夜間航空団第I飛行隊(I./NJG 1)の本部小隊にHe 219の増加試作機が数機搬入され、10日間に6回の出撃を実施し20機以上の撃墜を記録しました。そのうち6機はドイツ夜間戦闘機では捕捉不可能とされていた「モスキート」でした。

シュトライプの初出撃から3日後の1943年6月14日、シュトライプの戦果は機種選定権を持つ航空機生産相エルハルト・ミルヒ元帥のもとに届けられました。
しかし、ミルヒはさして興味を示さずに「シュトライプならほかの戦闘機に乗ってもこれぐらいの戦果をあげただろう」と語りました。ハインケル社は社長兼設計者のハインケルがナチスに心服しておらず、ミルヒの信任が薄かったのでした。

すでに1943年3月下旬、シュトライプの操縦するHe 219の試作機と航空省技術局のフィクター・フォン・ロペス大佐の乗るJu 188、Do 217Nの間で模擬空戦が行われ、性能的にはHe 219が抜きん出ていると判明していました。
このため、それまで100機止まりだった発注数は300機に拡大されましたが、激化する空襲で原型機が破損した上、機材の搬出なども思い通りに行かなくなりハインケル社は月産10機が限界だと表明していました。

ミルヒは量産実績のあるJu 88を主力夜間戦闘機とする腹案を持っていました。これはすでにある生産ラインを混乱させずに必要量の機材を確保する上からは当然の判断でした。
しかしカムフーバー中将らの強い申し出を受けて、ミルヒはHe 219を月産24機の量産を許可しましたが、カムフーバーは合計1,200機の要求を出したとも言われています。

一方ハインケル社ではHe 219の生産は熟練工や治具・工具類の不足で一向に生産ははかどらず1943年の生産数はわずか11機、それもテスト用の増加試作機でHe 219A-0、He 219A-2など形ばかりの量産型の呼称を付けられて、生産された機体は第1夜間航空団第I飛行隊(I./NJG 1)へ引き取られていきました。He 219は形状から、非公式に「ウーフー(ミミズク)」の愛称が付けられました。

He 219の増加試作機の多くは、それまで黒一色の機体迷彩とは異なって明度の高い灰色系に塗られていました。この新夜間迷彩の採用にはシュトライプが関与したといわれ、1943年の始めころからBf 110G、Ju 88G、Do 217Nに広く用いられています。
夜間戦闘機に明灰色を採用したのはドイツだけで、このほうが夜間に地上で見分けがつきやすいとの理由もありましたが、空中で敵から視認されやすい欠点はあったようです。

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メタデータ:

投稿者:IMAGEDRIVE
公開日時:2009年6月22日 00:21 更新日時:2009年6月28日 19:06
URL:http://www.nachtjagd.org/history/1943/1943_08.shtml

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