1. メニューへ移動
  2. 本文へ移動

明るい夜間戦闘

第二次世界大戦のヨーロッパ上空で繰り広げられたドイツとイギリス、アメリカの知られざる夜間戦闘の歴史や航空機、技術の紹介しています。

イギリスの報復と無差別爆撃の始まり

1943年7月30日から31日の第3回ゴモラ作戦でハンブルク上空を飛ぶイギリス空軍第1機群のアブロ ランカスター1943年7月29日から30日の夜に第3回目のゴモラ作戦が実施され、イギリス空軍はH2Sを使用したパス・ファインダー部隊に誘導され、777機による空襲をしかけました。
計画では手付かずの北郊外を爆撃する予定でしたが、地図作成ミスが三夜前に火炎旋風により壊滅した地域のすぐ北への爆撃に繋がりました。
ワンツベック地区、バルムベック地区及び、ウーレンホルスト地区とヴィンターフーデ地区の一部にある居住地域は甚大な被害を受け、火災が広範囲に及びましたが火災旋風は起こりませんでした。
イギリス空軍は全体の3.6%にあたる28機が戻れませんでした。

この出撃後に提出されたイギリス空軍の報告書には、ドイツ夜間戦闘機隊があきらかに新しい戦法を取り始めた事が記されていました。
それにはハングルク市街を取り巻くサーチライト群のうち、北東から南西にかけての半円部のものが水平に照射され、爆撃機の進行方向を示すとともに、爆撃機を下から浮かび上がらせる役目を果たしていると述べられていました。

1943年8月2日から8月3日の夜に最後のゴモラ作戦が行われました。
出撃機数は740機でしたが、悪天候により2、3機を除き全機がハングルクへの爆撃を中止し、目標への投弾量は1,400tと大きく落ち込みました。
最後のゴモラ作戦でのイギリス空軍の損失は、全体の4.1%にあたる30機でした。

ヴィルデ・ザウ」によってドイツ夜間戦闘機隊の戦力回復は、イギリス空軍が思っていたより早かったですが「ウィンドウ」の効果は大きいものでした。
これまでのイギリス空軍の平均損失率は4.16%でしたが、4回のハンブルク爆撃では平均2.8%に押さえられました。もし「ウィンドウ」がなければゴモラ作戦の合計損失数86機のほかに、40機以上の損失を強いられていました。
実際、ドイツ本土方面での1942年7月の撃墜数は223機でしたが、1943年7月の撃墜数は150機と大幅に落ち込みました。

ゴモラ作戦でイギリス空軍は、述べ3,000機の爆撃機を投入し、ハングルクの3分の2を破壊した上、5万人以上の市民が犠牲になりました。
イギリスはたった4回の爆撃で、ドイツによる英本土爆撃による死亡者に見合うだけの復讐を行いました。

そしてイギリス空軍爆撃機兵団の無差別爆撃はこれから本番に入るのでした。

参考資料

カテゴリ:

メタデータ:

投稿者:IMAGEDRIVE
公開日時:2009年7月 9日 22:25 更新日時:2009年7月 9日 22:31
URL:http://www.nachtjagd.org/history/1943/1943_14.shtml

関連記事一覧

  1. アメリカ陸軍第8航空軍のドイツ本土爆撃
  2. 夜間航空団の対重爆撃機迎撃
  3. 対重爆撃機迎撃による夜間航空団の損失
  4. H2Sの実践投入
  5. ハヨ・ヘルマンの単発夜間戦闘機隊
  6. ルールの戦闘
  7. リヒテンシュタイン装備の1943年の夜間戦闘機
  8. ハインケル He 219の初陣
  9. 暴かれたリヒテンシュタイン
  10. ウィンドウの実戦投入とドイツレーダー網の崩壊
  11. 第300戦闘航空団(JG 300)「ヴィルデ・ザウ」の創設
  12. 20世紀のゴモラの街
  13. ヴィルデ・ザウとハンブルクの戦い
  14. イギリスの報復と無差別爆撃の始まり
  15. ツァーメ・ザウ
  16. シェーネルトの対爆撃機用兵器
  17. ヒドラ作戦(ハイドラ作戦)
  18. シュレーゲ・ムジーク
  19. カムフーバーの更送
  20. ベルリン爆撃の開始
  21. 1943年のベルリン爆撃
  22. 1943年の総決算