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明るい夜間戦闘

第二次世界大戦のヨーロッパ上空で繰り広げられたドイツとイギリス、アメリカの知られざる夜間戦闘の歴史や航空機、技術の紹介しています。

ツァーメ・ザウ

イギリス空軍によるゴモラ作戦の威力は、ドイツ空軍首脳陣を大きく揺さぶりました。イギリス空軍の空襲は今後、ますます激化すると予想され、またアメリカ陸軍第8航空軍の昼間精密爆撃も威力を増し、ドイツの軍需産業を圧迫し始めていました。

空軍総司令官ヘルマン・ゲーリングですら本土防空の必要性を認識せざるを得ませんでした。ハンブルクへの2回目の空襲ののちゲーリングは、飛行機の生産重点機種を戦闘機にするようエルハルト・ミルヒ元帥に指示、ミルヒも「ウィンドウ」の影響を受けないレーダーの開発を、電波兵器メーカーに要望しました。

ミルヒとともに、カムフーバー中将は「ヒンメルベット」方式の改良こそ空襲への有効な回答と考え、「ヴィルデ・ザウ」戦法を好みませんでした。しかしゲーリングの意向や、上官のフーベルト・ヴァイゼ上級大将が賛同していたため、「ヴィルデ・ザウ」戦法を認めざるを得ませんでしたが、そんな中、新しい戦法が生まれました。
航空機生産相エアハルト・ミルヒ元帥、中部空軍司令官フーベルト・ヴァイゼ上級大将、第XII航空軍団指令・夜間戦闘機兵監ヨーゼフ・カムフーバー中将、戦闘機隊兵監アドルフ・ガーランド少将、第1夜間戦闘航空団司令ヴェルナー・シュトライプ大佐らが1943年7月30日に夜間戦闘における新戦術を決める委員会で「ツァーメ・ザウ(飼いならされたイノシシ)」戦法に賛意を示したのでした。

「ツァーメ・ザウ」戦法ツァーメ・ザウ」戦法は、航空省技術局のフィクター・フォン・ロスベルク大佐が案出し、1943年7月29日に提示した夜間戦闘方法でした。
ウィンドウ」で使用不能に陥ったレーダー網をあてにせず、目視で敵編隊を補足する点では「ヴィルデ・ザウ」戦法と似ていましたが「ヴィルデ・ザウ」が都市上空だけでの空戦に主眼を置いたのに対して、「ツァーメ・ザウ」はもっと組織化、広域化された戦術でした。

  1. イギリス空軍爆撃機兵団が出撃前に発する各種電波を、沿岸に展開した無線傍受班がキャッチし、当日夜のドイツの天候と合わせて、敵の攻撃目標を推定する。
    可能性のあるいくつかの都市名が夜間航空団NJG)へ知らされ、各部隊は夜間出撃にそなえて準備を始める。夕暮れともなると、沿岸の警戒レーダー(長波長のため「ウィンドウ」の影響は受けない)と目視の観測部隊は各戦闘司令部との連絡を密にして敵機の進入を待つ、とりわけ進入予想都市の正面にあるレーダーと観測部隊はいち早く監視体勢を強める。
  2. 最初に敵を補足するのは警戒レーダーで、その報告が入ると戦闘司令部は各夜間航空団NJG)に邀撃開始の指示を与え、続いて邀撃機の動向をコントロールする。
    戦闘開始の報でまっさきに離陸した偵察部隊は警戒レーダーの補足空域へ飛び、幅20〜30km、長さ200〜300kmにおよぶ敵爆撃機の流れを見つけて、その飛行コースと高度を司令部へ伝える。
    偵察機はそのまま敵の流れとともに飛び、データを報告し続ける。
  3. 偵察機からデータを受けた司令部の戦闘誘導将校は、敵の目標都市を判断して「ツァーメ・ザウ」部隊にコースと高度、邀撃空域を教える。
    緊急発進で出撃した夜間戦闘機は、もよりの無線信号標識基地の航法指示を受けて敵進入空域付近のビーコンへ飛び、敵の来襲を待つ。
  4. 敵の先頭集団が入ってくると、司令部から最終的なデータ報告が先頭機に伝えられる。各夜間戦闘隊は肉眼で敵機を捕らえて、上空から敵編隊の流れの中に飛び込んでいく。都市の空域では高射砲部隊の射撃高度が制限され、誤射の危険を少なくしてある。
    敵が目標を通り過ぎても、隣接する戦闘司令部が指揮を受け継ぎ、夜間戦闘機は燃料が尽きるまで敵編隊の流れの中で、目視での補足と攻撃を続ける。

以上が「ツァーメ・ザウ」戦法でした。これまでの「ヒンメルベット」方式の「暗い夜間戦闘」では、夜間戦闘機の邀撃範囲が「ヒンメルベット」基地の「ヴュルツブルク」レーダーの履域範囲に限られていました。
その制約を解き放ち、イギリス空軍爆撃隊の流れに沿って戦いつつ雁行していく。
したがって、カムフーバーが定めていた隷属する戦闘師団管区内だけでの空戦という制限はなくなり、各地区に展開する航空団が次々に襲いかかることができるのでした。

ウィンドウ」で撹乱された「ヴュルツブルク」レーダーは、邀撃管制用として役に立たなくなっていましたが、「ウィンドウ」のある周辺空域にも敵機がいるわけで、おおよその敵位置を教えることはできるため、警戒レーダーとして使われました。
そこで「ヒンメルベット」基地には、敵と味方の航路をたどるための「ゼーブルク」装置にかわって、航空位置表示地図が備えられました。
また、これまで夜間戦闘機1機の動きを追っていた戦闘司令部の誘導将校は、各人が1個中隊の動きを把握することになりました。

これら複数の夜間戦闘機を爆撃機の流れにそわせ、また帰還させるための地上との航法補助装置がY装置、Y方式と呼ばれるもので、もともとは爆撃目標への誘導装置でした。機上にFuG18ZY無線装置(通信機としても使用)を積み、機体下面に「モラーネ」アンテナを出して、その電波を受けました。

こうした「ツァーメ・ザウ」戦法は以後、夜間航空団NJG)の主戦法になり、敗戦に至るまで継続して用いられることになるのでした。

カテゴリ:

メタデータ:

投稿者:IMAGEDRIVE
公開日時:2009年7月15日 22:41 更新日時:2009年7月15日 22:49
URL:http://www.nachtjagd.org/history/1943/1943_15.shtml

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