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明るい夜間戦闘

第二次世界大戦のヨーロッパ上空で繰り広げられたドイツとイギリス、アメリカの知られざる夜間戦闘の歴史や航空機、技術の紹介しています。

シェーネルトの対爆撃機用兵器

夜間戦闘機が爆撃機を攻撃するには、後方とりわけ後下方から攻撃を加えるのが普通でした。正面から迫ったのでは一瞬ですれ違い、わずかしか弾丸を撃込めないばかりか、視界のない夜間では離脱するタイミングが狂い、衝突する恐れがあるからでした。
もちろんイギリス空軍もこれを見こし尾部銃座を7.7mm機銃4挺と最も強力にして、ドイツ夜間戦闘機に対抗しました。

イギリス空軍爆撃機の弱点は全く武装がないか、あっても不十分な遠隔操作式の7.7mm機銃2挺だけの胴体下面でした。
しかし攻撃する側にとっても、いったん後下方にもぐってから上昇し機種上げ姿勢で一撃してすぐ離脱しなければなりませんでした。これでは連続射撃は不可能で、弾丸を一ヶ所に集中させにくく、また離脱のタイミングを失敗すると衝突したり、運良く撃墜しても爆発や破片などに巻き込まれる可能性もありました。
もし、敵機の腹の下に入ったまま長時間(といっても4〜5秒だが)、同じ箇所をうち続けられれば敵機は確実に発火し、撃墜の可能性が大きく高まります。

イギリス空軍の爆撃機は爆弾搭載量を優先し、爆弾扉もアメリカの爆撃機よりも大きなものでした。そして胴体下面にはH2Sなどのレーダーを装備していたので、銃座を設けることが難しかったのでした。

この問題の解決策が、機銃を斜めに取り付け胴体下部から撃ち続ける「斜め銃」でした。
敵機の下方に取り付き同速度で同方向へ飛べば、銃口は常に同じ位置を無修正のままで連続射撃が可能になります。そしてこれは変則的な装備法だから敵は虚を突かれ、気付いたときはすでに致命傷を受けて見えざる夜間戦闘機の餌食になっているということです。

機銃を斜めにつけて後下方から打ち上げるアイデアは、すでに第1次世界大戦からあり、日本でも小園安名海軍中佐の発案で、十三試双発陸上戦闘機(のちの「月光」)に装備し、昭和18年(1943年)5月にラバウル上空でB-17を夜間撃墜している。
技術交換で日本が提供した斜め銃の原理と用法をドイツが応用した、とよく言われるがこれは誤りである。機銃の取り付け角度も異なり、日本では30°程度の浅い角度で取り付けられていました。

ルドルフ・シェーネルト1941年、第1夜間航空団第4中隊(4./NJG 1)のルドルフ・シェーネルト中尉は、Do17に機銃1挺を垂直に付けて射撃してはどうか、と夜間戦闘師団長のカムフーバー大佐に進言しました。
カムフーバーはこの案を、シュトライプ大尉やヘルムート・レント大佐に示し、評価を聞いたりしていましたが、1942年の夏、シェーネルト中尉があらためて実験を願い出て、タルネヴィッツの兵器試験場で、Do 17とBf 110に装備してテストが行われました。
さらにシェーネルトの要請でタルネヴィッツでは、Bf 110より大きく、Do 17より高速のDo 217Jを3機用意し、1機あたりMG151/20 20mm機関砲4門または6門を、機軸に対し65°から70°の角度を持たせて装着し、射撃試験を進めました。

機関砲の取り付け角度を決めたのは、「ツァーメ・ザウ」戦法を考案した技術局で夜間戦闘機関係の技術顧問を勤めていたフィクター・フォン・ロスベルク中佐でした。
垂直に向けたのでは視野が狭くて旋回する敵機を見失う可能性がありましたが、65〜70°の角度なら、射程内に入った爆撃機が1秒間に8°の割合で旋回しても、パイロットは視認を継続できることがわかりました。
照準にはキャノピーのステーにRevi16N反射照準器を反射ガラス部分と本体部分を切り離して、取り付けられたものを使用しました。
射撃試験の結果は良好で、1942年秋に実験のための部隊配備が決まり、発案者のシェーネルト自らが第3夜間航空団NJG 3)へ、このDo217 3機を持ち込みました。

4門のシュレーゲ・ムジークを装備したDo 217N1942年12月初めシェーネルトは第5夜間航空団第II飛行隊(II./NJG 5)の飛行隊長に任じられ転出しましたが、第5夜間航空団第II飛行隊(II./NJG 5)がBf 110装備であるにもかかわらず、実用テストを行うべくDo 217を持ち込みました。
パルヒムの基地に置かれた「特別仕様(スペツィアル)」Do 217Jを見て衝撃を受けたのが、兵器員のパウル・マーレ曹長でした。

マーレ曹長は第5夜間航空団第II飛行隊(II./NJG 5)のBf 110に、MG151/20 20mm 機関砲への換装のため取り外されたMG FF 20mm 機関砲がたくさん余っていたので、後席のすぐうしろに木の板を張って2挺を並列に据え付けてみました。
でき上がったBf 110を見たシェーネルト大尉は、この機に搭乗して1943年5月にベルリン上空へ出撃、特殊武装による撃墜第1号を記録しました。
マーレ曹長は同じ調子で何機かのBf 110にMG FF 20mm 機関砲を取り付けましたが、搭乗員たちはその威力をさほど信じてはいませんでした。

小園安名

小園安名少佐小園安名(こぞの やすな)戦闘機搭乗員から第十二航空隊飛行隊長、台南航空隊副長(飛行長兼任)、二五一空司令、三〇二空司令を歴任。
二五一空司令時代に対B-17対策として、用無しとなっていた十三試双発陸上戦闘機(二式陸上偵察機の試作機、後の月光)に斜銃を装備した改造夜戦を二五一空に配備させることを成功させました。
1943年(昭和18年)5月21日深夜、夜間爆撃に飛来したB-17を2機撃墜する戦果を上げ、海軍中央から二五一空の保有する二式陸偵全機の改修許可と改造夜戦の制式化内示が伝えられ、同年8月23日には丙戦(夜間戦闘機)「月光」として制式採用され、斜銃も制式兵器となりました。
間もなく斜銃は「上向き砲」と名を変えて陸軍にも普及し、日本陸海軍夜間戦闘機の主要装備となりました。

参考資料

カテゴリ:

メタデータ:

投稿者:IMAGEDRIVE
公開日時:2009年7月20日 21:35 更新日時:2009年7月20日 21:44
URL:http://www.nachtjagd.org/history/1943/1943_16.shtml

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