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明るい夜間戦闘

第二次世界大戦のヨーロッパ上空で繰り広げられたドイツとイギリス、アメリカの知られざる夜間戦闘の歴史や航空機、技術の紹介しています。

カムフーバーの更送

夜間航空団NJG)が戦法・装備によって力を回復した1943年の秋、夜間航空団NJG)最大の人事異動が行われました。

ヨーゼフ・シュミット1943年6月に夜間戦闘組織の拡充をヒトラーに進言して覚えを悪くしたヨーゼフ・カムフーバー中将は、その後も信用を回復できず、ついに1943年9月15日、第XII航空軍団(XII. Fliegerkorps)司令官を免じられてしまいました。
後任はゲーリングが任命した、情報部門の経歴が長く、個人的友人でもあったヨーゼフ・シュミット少将でしたが、夜間戦闘兵監の職はカムフーバーに残されました。

1943年9月26日、ゲーリングの肝いりで「ヴィルデ・ザウ」部隊の拡充が実施されました。
ハヨ・ヘルマンこれまでの第300戦闘航空団JG 300)に加え、第301戦闘航空団JG 301)、第302戦闘航空団JG 302)が加わり、3個航空団で第30戦闘師団JD 30)を編成しました。
師団長は進級したハヨ・ヘルマン中佐が就きましたが、固有の装備機はそれぞれ1個飛行隊分しかなく、同じ基地にいた昼間戦闘機部隊の機材を借りて不足を補っていました。

1943年9月15日に夜間戦闘部隊の元締めだった第XII航空軍団(XII. Fliegerkorps)は廃止され、司令官はシュミット少将のままで、新たに第I戦闘軍団JK I)に編成されました。

1943年11月27日にカムフーバー中将は、ついに夜間戦闘機兵監の任をも解かれ、第5航空艦隊Lfl 5)司令官として転出しました。
1941年7月に夜間戦闘師団が編成されて以来、夜間戦闘隊を増強し、新兵器の開発と導入を進めてきたカムフーバーはノルウェーへ去っていくのでした。
わずか1個航空団で始まった夜間戦闘部隊は、彼が総指揮をとった2年4ヶ月のあいだに、10個航空団にまで発展していました。

部隊名 保有部隊数
第1夜間航空団NJG 1) 4個飛行隊
第2夜間航空団NJG 2) 3個飛行隊
第3夜間航空団NJG 3) 4個飛行隊
第4夜間航空団NJG 4) 3個飛行隊
第5夜間航空団NJG 5) 5個飛行隊
第6夜間航空団NJG 6) 6個飛行隊
第100夜間航空団NJG 100) 1個飛行隊
第101夜間航空団NJG 101) 2個飛行隊
第102夜間航空団NJG 102) 1個飛行隊
第200夜間航空団NJG 200) 4個中隊

これらのうち第101夜間航空団NJG 101)、第102夜間航空団NJG 102)は、夜間戦闘学校を基礎にしてできた部隊で、本来は訓練部隊でした。
たとえば1943年8月に戦死した双発夜間戦闘機のパイロット40名に対し、第101夜間航空団NJG 101)で訓練を終えた28名の新人が実戦部隊に補充されました。
訓練部隊とはいえ第101夜間航空団NJG 101)はのちに大きな規模で作戦に従事し、合計200機の撃墜戦果をあげることになります。
第102夜間航空団NJG 102)は一部戦力を実戦に用いたものの、大規模な作戦は行いませんでした。

第100夜間航空団NJG 100)および第200夜間航空団NJG 200)は1943年8月1日と17日に編成され、ともに東部戦線で作戦した部隊でした。
第100夜間航空団第I飛行隊(I./NJG 100)は、1943年7月から東部戦線に展開していた第5夜間航空団第IV飛行隊(IV./NJG 5)から編成された部隊で、4機編隊ごとに地上用レーダーと高射砲を備えた鉄道車輌を指揮所にした、いわゆる「鉄道夜間戦闘」を実施しました。最多時には9本の列車が運用されていたといわれています。
ハインリヒ・プリンツ・ツー・ザイン=ヴィトゲンシュタイン第100夜間航空団第I飛行隊(I./NJG 100)の初代飛行隊長は、第5夜間航空団第IV飛行隊(IV./NJG 5)長だったハインリヒ・プリンツ・ツー・ザイン=ヴィトゲンシュタイン大尉で、王族夜間戦闘機エースの一人だった彼は東部戦線で29機を落としており、合計83機の撃墜数は第3位に位置していました。
しかし彼は5日間だけ第I飛行隊長を勤めて、本国の第3夜間航空団第II飛行隊(II./NJG 3)飛行隊長に転出してしまいました。
後任のルドルフ・シェーネルト大尉も、夜間撃墜64機のうち35機を、1943年末までの在隊5ヶ月間にこの戦線でかせぎました。

第200夜間航空団NJG 200)は、第1航空艦隊Lfl 1)、第6航空艦隊Lfl 6)に直属する4機ずつの夜間戦闘機編隊と、第1駆逐航空団第10中隊(10./ZG 1)を基礎として編成されました。
当初は中隊規模で活動し、のちに第I飛行隊(I./NJG 200)、第II飛行隊(II./NJG 200)が作られましたが、形ばかりの変則的な編成で、実際の規模は小さいものでした。
鉄道と連係した第100夜間航空団(NJG 100)のような移動戦法はとらず、サーチライトと共同の「明るい夜間戦闘」が基本に用いました。
第200夜間航空団第1中隊(1./NJG 200)はバルト海沿岸部、第200夜間航空団第5中隊(5./NJG 200)はクリミア半島で戦い、第200夜間航空団第1中隊(1./NJG 200)は月明かりを頼りに索敵を行っていました。1944年に入って、第200夜間戦闘航空団NJG 200)は中隊ごとに第100夜間戦闘航空団NJG 100)に吸収され、1944年7月に新編の第100夜間航空団第II飛行隊(II./NJG 100)の基礎を築いて解隊しました。

レーダーを持たず、散発的に来襲するソ連機相手の夜間空戦は、イギリス空軍の爆撃機を邀撃するのとは全く対照的であり、ドイツ側が一方的に”電子の目”を用いました。
やがて東部戦線の劣勢によって、第100夜間航空団NJG 100)は次第に西へ移動し、ルーマニア、チェコ、ハンガリー方面への後退を余儀なくされるのでした。

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メタデータ:

投稿者:IMAGEDRIVE
公開日時:2009年8月11日 01:11 更新日時:2009年8月11日 01:19
URL:http://www.nachtjagd.org/history/1943/1943_19.shtml

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