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明るい夜間戦闘

第二次世界大戦のヨーロッパ上空で繰り広げられたドイツとイギリス、アメリカの知られざる夜間戦闘の歴史や航空機、技術の紹介しています。

王族エース ヴィトゲンシュタインの死

1月21日の夜、ベルリン付近のシュテングル基地を第2夜間航空団NJG 2)司令のハインリヒ・プリンツ・ツー・ザイン=ヴィトゲンシュタイン少佐1916年8月14日ドイツ空軍はJu 88Gで飛び立ちました。
彼はすでに78機を撃墜してヘルムート・レント少佐1918年6月13日ドイツ空軍のスコアを抜いて、夜間航空団NJG)のトップエースになっていました。
降りるのは燃料が切れたときだけ、不手際をした同乗者に3日間、飛行中の機内で不動の姿勢を取らせた逸話を持つ、熱中・突進タイプの貴族パイロットでした。

第5夜間航空団第IV飛行隊飛行隊長時代のハインリヒ・プリンツ・ツー・ザイン=ヴィトゲンシュタイン少佐ヴィトゲンシュタイン少佐1916年8月14日ドイツ空軍は密集編隊を組んでベルリンへ飛ぶイギリス空軍爆撃機の流れに接近し、FuG 220 リヒテンシュタイン SN-2を操るオストハイマー軍曹ドイツ空軍の誘導を受けて「ランカスター」を捕らえると、22時過ぎにまず1機を撃墜しました。
オストハイマー軍曹ドイツ空軍が続いて6機の目標を確認すると、ヴィトゲンシュタイン少佐1916年8月14日ドイツ空軍は最初に目に付いた機を攻撃して、22時10分に2機目の「ランカスター」を、22時30分には3機目の「ランカスター」を撃墜しました。

彼らはいまやゆるく広がった敵の大爆撃機編隊いわゆるボマー・ストリームの真っ直中にいたので、すぐ次の敵機が見つかりました。
22時40分に4機目となる「ハリファックス」が地上に激突するのをオストハイマー軍曹ドイツ空軍が確認し、ややたって23時15分に5機目となる「ハリファックス」を補足するとこれも一撃で撃墜しました。

1時間と経たず5機を撃墜したヴィトゲンシュタイン少佐1916年8月14日ドイツ空軍は1943年7月の第5夜間航空団第IV飛行隊(IV./NJG 5)飛行隊長の時、東部戦線で一夜に7機を、さらに第2夜間航空団NJG 2)の司令に任じられたばかりの1944年の元旦の夜にも、6機をまとめて撃墜していました。

一夜にして5機を撃墜した彼のJu 88Gは、6機目を捕まえて射撃位置に着いた時、突然、機内に激しい爆発が起こりました。
すぐに左翼が炎に包まれ、ヴィトゲンシュタイン少佐1916年8月14日ドイツ空軍オストハイマー軍曹ドイツ空軍に脱出を命じました。オストハイマー軍曹ドイツ空軍は酸素マスクを引きはがすと脱出し、無事パラシュートで降下し生還できましたが、少佐は翌朝、墜落したJu 88Gの機内から死体が発見されました。

27歳の若き航空司令、ドイツ夜間戦闘隊のトップエースを撃墜したのは爆撃機軍に随伴してきたイギリス空軍第100(特別任務)集団の夜間戦闘機でした。

アメリカ軍のマークを付けたボーファイター1944年1月当時の第100(特別任務)集団の使用夜間戦闘機は「ボーファイター」IIF型、VIF型と、新型の「モスキート」NFII型で、邀撃レーダーは旧式化しつつあった、メートル波のAI IV型を装備していました。

しかしやがて1944年5月から「モスキート」NF19型が登場し、レーダーの指示通りに飛びさえすれば、敵機を目視範囲内に確実に捕らえるという、マイクロ波使用の高性能レーダーAI VIII型及びAI 10型によって、次々にドイツ夜間戦闘機を撃墜していくのでした。
AI 10型は、第二次世界大戦中の最優秀邀撃レーダーと見なされたアメリカ軍のSCR-720(波長10cm)の、イギリス軍呼称でした。

第9回ベルリン爆撃

年が明けた1944年1月1日から2日の夜にかけて第9回のベルリン爆撃が、421機のアブロランカスター」によって行われました。夜間戦闘機のよって6.7%にあたる28機が撃墜されました。
また陽動作戦が15機のデハビランドモスキート」と小規模な爆撃機によって、ハンブルクに対して行われましたが夜間戦闘機の誘き寄せることは出来ませんでした。

第10回ベルリン爆撃

第10回のベルリン爆撃は続く2日から3日の夜に362機の「ランカスター」、12機の「モスキート」、9機のハンドレページ「ハリファックス」の計383機で行われました。
夜間戦闘機は爆撃機がベルリンを越えるまで追いつけず、7%にあたる27機の「ランカスター」を撃墜しました。また他の都市に対しても小規模な爆撃が行われました。

第11回ベルリン爆撃

第11回のベルリン爆撃は1月20日から21日の夜に、495機の「ランカスター」、264機の「ハリファックス」、10機の「モスキート」の計769機によって行われました。
夜間戦闘機は邀撃に成功し、4.6%にあたる22機の「ハリファックス」と13機の「ランカスター」を撃墜しました。爆撃の損害確認は低い雲量の為に行うことはできませんでした。

その他のイギリス軍夜間爆撃

  • 1月3日から4日の夜、8機の「モスキート」がゾーリンゲンエッセンに攻撃を加え、損失はありませんでした。
  • 1月4日から5日の夜、80機の航空機によって2カ所に攻撃を加えました。13機の「モスキート」でベルリンを攻撃、残りは他の都市を目標にしました。
    またイギリス特殊作戦執行部によってレジスタンスに対して物資と諜報員の補給を行いました。
  • 1月5日から6日の夜、1941年9月から主な攻撃目標とされてきたシュシェチンが348機の「ランカスター」と10機の「ハリファックス」によって爆撃を受けました。ドイツ夜間戦闘機を揺動するために13機の「モスキート」が出撃し、イギリス空軍は4.5%の16機の損失に押さえることができました。
  • 1月6日から7日の夜、19機の「モスキート」によってデュイスブルク、Bristillerie、ドルトムントゾーリンゲンを攻撃しました。
  • 1月7日から8日の夜、11機の「モスキート」によってクレーフェルトデュイスブルクを攻撃しました。イギリス特殊作戦執行部を援助する10名の諜報員が脱出の際に、離陸直後に墜落し死亡しました。
  • 1月8日から9日の夜、23機の「モスキート」によってフランクフルトゾーリンゲンドルトムントを攻撃し、2機を失いました。
  • 1月10日から11日の夜、20機の「モスキート」によってベルリンゾーリンゲンコブレンツクレーフェルトを攻撃し、損失はありませんでした。
  • 1月13日から14日の夜、25機の「モスキート」によってエッセンデュイスブルクアーヘンコブレンツを攻撃し、損失は1機でした。
  • 1月14日から15日の夜に大戦初のブラウンシュヴァイクに対する爆撃が496機の「ランカスター」と2機の「ハリファックス」にって行われました。
    38機の「ランカスター」が夜間戦闘機によって撃墜され、その内11機は爆弾投下地点を指示するパス・ファインダーでした。
    ドイツ軍はこの爆撃での被害をブラウンシュヴァイクで家屋10棟の破壊と14人の死亡、街の南でのわずかな損害と報告しました。
    また82機の爆撃機が損失無しにエリーボヌトン、Bristillerieを爆撃し、17機の「モスキート」がマクデブルクベルリンを攻撃しました。

参考資料

カテゴリ:

メタデータ:

投稿者:IMAGEDRIVE
公開日時:2009年9月20日 20:49 更新日時:2009年10月 2日 00:47
URL:http://www.nachtjagd.org/history/1944/1944_01.shtml

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