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明るい夜間戦闘

第二次世界大戦のヨーロッパ上空で繰り広げられたドイツとイギリス、アメリカの知られざる夜間戦闘の歴史や航空機、技術の紹介しています。

シェーネルトの独立単座夜間戦闘機部隊

単座夜間戦闘機を用い「ヴィルデ・ザウ」戦法をとった第300JG 300)、第301JG 301)、第302戦闘航空団JG 302)は、米軍を中心とする昼間爆撃の激化などにより、1944年の夏には主任務が昼間戦闘へと変わりました。
この穴を埋めるために、1944年8月28日に編成されたのが第11夜間航空団NJG 11)でした。Bf 109G、Fw 190Aを装備機材とし、1945年初めまでに3個飛行隊を揃えました。

しかし、これより先、単座夜間戦闘機を用いた部隊が1944年1月に編成されていました。それが第10夜間戦闘飛行隊NJGr 10)で、上部組織に航空団司令部を持たない、いわゆる独立飛行隊でした。
この飛行隊は電波兵器、機体、武装の開発を担当する各試験場と連係し、それらの機器材の実戦テストを行い、有効な戦法を編み出すのが任務でした。
飛行隊長が「シュレーゲ・ムジーク」を発案したルドルフ・シェーネルト少佐1912年11月11日ドイツ空軍だったのは、いかにも新兵器の実験部隊らしいと言えます。

第10夜間戦闘飛行隊NJGr 10)は3個中隊に分かれ、第1中隊(1./NJGr 10)が単発単座のFw 190AとBf 109G、第2中隊(2./NJGr 10)が双発新型のHe 219AとTa 154A、第3中隊(3./NJGr 10)が双発のJu 88C、GとBf 110G-4を使用していました。
第2、第3中隊の機材はもちろんいずれも機載レーダー装備でしたが、第1中隊のFw 190にもレーダーを装備したのが、この部隊の特徴でした。

Fw 190A-6Fw 190A-6にR11仕様として装備されたレーダーは、FFO(航空無線研究所)製作(一部にジーメンス社も参加)のFuG216、FuG217、FuG218の3種で、いずれも「ネプトゥーン」の名で呼ばれ、FuG217と218には可変周波数方式のタイプもありました。
探知距離は最も履域範囲の広いFuG218は120mから5kmなので、FuG 220 リヒテンシュタイン SN-2を上回りましたが、先へ行くほど履域が狭まるのが欠点でした。
ネプトゥーン」には単座用と多座用があり、後者はJu 88G-6やBf 110G-4に用いられ、双発機の後方警戒用タイプの「ネプトゥーン」R-1〜R-3もありました。

レーダー付きのFw 190とはいえ第10夜間飛行隊第1中隊(1./NJGr 10)はBf 109と共に「ヴィルデ・ザウ」戦法をとり、機首にイノシシのマークを描いて防空戦に参加しました。

レーダー装備に関してBf 109が不利なのは、主翼前縁にスラットを設けてあるため、支柱式アンテナが取り付けにくいのと、機体が小さくてロッドアンテナを突き立てる場所に困ることでした。
一応Bf 109数機にFuG217がテスト装備され、第10夜間戦闘飛行隊NJGr 10)に持ち込まれましたが、実戦には用いられませんでした。

なお、第10夜間飛行隊第1中隊(1./NJGr 10)は1944年8月から11月にかけて、第11夜間航空団第2中隊(2./NJGr 11)、第11夜間航空団第3中隊(3./NJGr 11)の母体になりました。

Friedrich-Karl Nasen Müller単発単座夜間戦闘機で戦果を得るためには、水準以上の技量が必要でした。
この手の機体で戦った最優秀パイロットの一人は、その大きさから「鼻のミューラー」と呼ばれた、第10夜間飛行隊第1中隊(1./NJGr 10)の中隊長フリードリヒ・カール・ミューラー中尉1916年12月25日ドイツ空軍でした。
彼はその前後に勤務した第300戦闘航空団JG 300)(本部付き作戦将校)及び第11夜間航空団第I飛行隊(I./NJG 11)(隊長)時代を合わせて、52回の出撃で4発重爆撃機29機とデハビランドモスキート」1機を撃墜する驚異的なスコアを上げていました。
そしてミューラー指揮下の第1中隊員だったクルト・ヴェルター少尉1916年2月25日ドイツ空軍は、さらにその上をいきました。
前任部隊の第301戦闘航空団第5中隊(5./JG 301)で、1944年4月までに僅か15回の出撃で重爆撃機17機を撃墜し「ものすごいパイロット」とベテランの搭乗員を驚かせました。ミューラー、ヴェルターともにFw 190とBf 109を併用しました。

ヴィルデ・ザウ」戦法の凄まじさは1944年7月11日の1時過ぎにヴェルヌヘンからFw 190A-6/R11で出動したフリッツ・クラウゼ中尉ドイツ空軍の体験によく表れています。
任務は高空を侵入する「モスキート」の撃墜でした。7月8日に1機を落としたクラウゼは5機で出動しました。最も危険な市街地上空が彼の担当で、指定の待機高度は10,000mでした。しかし主車輪ブレーキの故障で発進が遅れた為、待機高度に満たない6,500mに達した時に射撃高度制限8,000mの高射砲が火ぶたを切りました。
高射砲砲弾が至近で炸裂し、乗機の右翼の一部をもぎ取りました。奇跡的に飛行不能には陥らず、クラウゼはすぐにすぐに信号弾を放ち無線で味方機被弾を伝えましたが、弾幕は収まりませんでした。クラウゼは墜落必至と判断するとからくも機外脱出し、ベルリン北方の湖畔に降着することができました。

参考資料

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メタデータ:

投稿者:IMAGEDRIVE
公開日時:2010年7月17日 01:27 更新日時:2010年8月 6日 15:58
URL:http://www.nachtjagd.org/history/1944/1944_06.shtml

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