1. メニューへ移動
  2. 本文へ移動

明るい夜間戦闘

第二次世界大戦のヨーロッパ上空で繰り広げられたドイツとイギリス、アメリカの知られざる夜間戦闘の歴史や航空機、技術の紹介しています。

ヴェルターとRAF第100集団のモスキート

ドイツ夜間戦闘機を襲う危険な敵は、イギリス空軍爆撃機兵団の第100(特別任務)集団デ・ハビランド モスキートでした。
イギリス空軍の爆撃機の補足・撃墜に神経をすり減らすパイロットの後方に忍び寄って襲いかかったり、空域哨戒や基地への夜襲も実施して、モスキートは撃墜を重ねていました。
1944年5月に18機(イギリス側損失2機)、6月に32機(同4機)と続き7月22日にかけての夜にBf 110を撃墜して第100集団の合計撃墜数は100機にも達しました。
ドイツ夜間戦闘機にとって、この目の上のこぶに等しいモスキートの撃墜は、イギリス空軍爆撃機よりも遙かに困難な任務でした。

ドイツ本土方面の夜間航空団で初めてモスキート(夜戦型ではない)を撃墜したのは1943年4月20日から21日にかけての夜でした。撃墜したのは当時、第1夜間航空団第IV飛行隊(IV./NJG 1)長を努めていたヘルムート・レント少佐1918年6月13日ドイツ空軍と部下のローター・リンケ中尉ドイツ空軍でした。
以後、敗戦まで夜間航空団が上げたモスキートの確実撃墜数は夜戦型、爆撃機型、偵察機型を合わせて、100機にも満たない程度でした。

クルト・ヴェルターしかし、この撃墜困難なモスキートを、次々に撃墜したパイロットもいました。新兵器実験部隊の第10夜間飛行隊第1中隊(1./NJGr 10)、ついで第11夜間航空団第2中隊(2./NJG 11)に所属していたクルト・ヴェルター少尉1916年2月25日ドイツ空軍でした。
ヴェルターは1944年7月25日から9月4日までにモスキートを7機も撃墜し、しかも1機は体当たりで撃墜しました。さらに第300戦闘航空団第10中隊(10./JG 300)へ転属し、中尉に進級後の1944年9月19日、20日、28日にかけての各夜に、Fw 190A-8でモスキートを1機ずつ撃墜しました。
Fw 190、Bf 109にとってもモスキートの撃墜は高位より降下による加速で補足するのが唯一の策だったと言われていました。モスキートの撃墜をヴェルターが執着していたか定かではありませんが、なんらかのコツを会得していたと思われます。

イギリス空軍第100(特殊任務)集団

第100(特殊任務)集団(No. 100 Group)はRAF爆撃機軍団の中で主に電子戦を担当する部隊でした。
1943年11月11日に基地をノーフォークイーストアングリアに置いて編制され、電子戦と対電波戦という複雑な戦いを夜の空で繰り広げました。

第100集団はレーダーを装備したドイツ夜間戦闘機に対してモスキートに搭載したホーマーを利用し、ドイツ夜間戦闘機が搭載する各種レーダー波や電波を探知して攻撃したり、ボマーストリームの防衛を行いました。
また爆撃に先立ちドイツ空軍基地を襲い、着陸している夜間戦闘機に対し攻撃をしかけました。基地への恒常的な攻撃はパイロット達の士気に影響を与え、モスキートを警戒するあまりに着陸を焦り事故を起こすなど、間接的にパイロットと飛行機を失うこともありました。

1944年から1945年の間に第100集団モスキートは70機の損失と引き替えに258機のドイツ空軍機を撃墜しました。次第に増大する損害から、いつ第100集団のモスキートに襲われるかもしれないと不安になるパイロット達の様子を、地上の作業員達は『Moskito Panik』と名付けました。

第100集団の爆撃飛行隊は敵の無線施設やレーダーを混乱させる為に様々な電子妨害装置を利用しました。第100集団は活動期間中に32以上もの装置を開発・実験し、実戦ではエアボーン・シガージャマー)、ジョスルジャマー)、マンドレルジャマー)、エアボーン・グローサージャマー)、パイプラックジャマー)、パーフェクトスホーマー)、セレイトホーマー)、コロナスプーファー)、カーペットジャマー)やルセロホーマー)などを使用してリヒテンシュタインフレイアヴュルツブルクに対抗しました。

1944年1月から第100集団ノーフォークビーラホールに司令部を移し、約260機の航空機を8カ所の飛行場で運用しました。そのうち140機は様々な種類の夜間戦闘型モスキートと電子妨害兵器を搭載したハンドレページ ハリファックスショート スターリングビッカーズ ウェリントンボーイング B-17 フライングフォートレスコンソリデーテッド B-24 リベレーターで編成されていました。また短期間でしたがブリストル ボーファイターも運用しました。

第100集団は1945年12月17日に解散しました。部隊活動期間中の司令官はエドワード・アジソン少将1898年10月4日イギリス空軍のみでした。

参考資料

カテゴリ:

メタデータ:

投稿者:IMAGEDRIVE
公開日時:2010年9月26日 22:42 更新日時:2010年10月 8日 00:10
URL:http://www.nachtjagd.org/history/1944/1944_08.shtml

関連記事一覧

  1. 王族エース ヴィトゲンシュタインの死
  2. 1944年のベルリン爆撃
  3. ベルリン爆撃の終焉
  4. 血の三月(イギリス空軍最悪の日)
  5. ユンカースの台頭
  6. シェーネルトの独立単座夜間戦闘機部隊
  7. カムフーバー・ラインの崩壊
  8. ヴェルターとRAF第100集団のモスキート
  9. 追い込まれるレーダー技術
  10. 増加する機材と欠乏する燃料
  11. トップエース ヘルムート・レントの死
  12. 1944年の総決算