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明るい夜間戦闘

第二次世界大戦のヨーロッパ上空で繰り広げられたドイツとイギリス、アメリカの知られざる夜間戦闘の歴史や航空機、技術の紹介しています。

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トップエース ヘルムート・レントの死

第3夜間航空団司令ヘルムート・レント大佐1918年6月13日ドイツ空軍は1944年7月、ついに前人未踏の夜間100機撃墜を達成しました。昼間であれば100機以上撃墜のエースは100人を超えていましたが、夜間撃墜のエースはレントハインツ=ウォルフガング・シュナウファー少佐1922年2月16日ドイツ空軍の2人だけでした。

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追い込まれるレーダー技術

イギリスは対ドイツ夜間戦闘機用の新器材の開発をおこたらず、アメリカ製も加わって1944年夏から各種の強力な電波兵器を第100(特別任務)集団に装備させ、実戦に投入しました。
まずツァーメ・ザウに用いる通信を撹乱するため、大出力で各種周波数の電波を一度に妨害できるジョッスル IVボーイング B-17 フライングフォートレスコンソリデーテッド B-24 リベレーターの爆弾倉内に搭載して送り出しました。
一方、デ・ハビランド モスキートにはドイツ夜間戦闘機の装備するFuG 25a エルストリング(初物・長子)味方識別装置にパルスを送って作動を起こさせ、その位置を知るパーフェクトス(葉巻)を搭載し、追跡能力を向上しました。
ついで秋からはリヒテンシュタイン SN-2の電波を乱し補足を不可能にするアメリカ製のパイプラックを4発爆撃機に搭載しました。さらに1945年1月からは、SN-2の周波数に合わせて改良したセレイト IVも搭載し、ドイツ夜間戦闘機はいっそう苦しめられるのでした。

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血の三月(イギリス空軍最悪の日)

イギリス空軍爆撃機兵団の最悪の日は「ベルリン空襲」が終わった6日後の1944年3月30日にやってきました。この夜に発進した572機のアブロランカスター」、214機のハンドレページハリファックス」、9機のデハビランドモスキート」で計795機。目標はニュルンベルクでした。
この夜、本土方面のドイツ夜間戦闘隊の全力、すなわち第1戦闘師団JD 1)、第2戦闘師団JD 2)、第3戦闘師団JD 3)、第4戦闘師団JD 4)、第7戦闘師団JD 7)指揮下の各航空団は、敵機進入の予報を受けて出撃準備を完了していました。迎え撃つ戦力は双発夜間戦闘機361機、単発夜間戦闘機150機でした。

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